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今回は、97年秋に3ヶ月連続で掲載した「子供の音環境を考える」の続編をお送りします。

 99年5月号でも予告いたしましたように、あれから2年、今でも反響が寄せられま す。
97年の3回分では、「何が起きているのか、問題の根源はどこにあるのか」というス タンスで皆様と考えていきましたが、今月と、今後不定期に、「何をしていったらいいのか」という、私を含めたいろいろな方々の、試行錯誤の実例を御紹介していこうと思います。

 ここに、一冊の本があります。ピカードという人の書いた「沈黙の世界」という、古い古い本です。
 舞台音響の大ベテランの方から10年前に「この本を君に託すよ。あげるんじゃない 託すんだ。分かるね。」と言われて受け取ったものです。
 この本の中にこうあります。

「沈黙とは音がない状態ではない。沈黙という音があるのだ。」

 その本は更にこう続きます。

「全ての会話、全ての音楽は、沈黙より生まれ出で、沈黙へ向かって語られ、沈黙へ向かって演奏される。それは終結ではない。沈黙という緊張に耐えきれず、沈黙を破 って語られ演奏されるが、その盛り上がりは最終的に、沈黙によって最高潮に達し、沈黙することによって完結をみるのだ。」

 これを、「あげるんじゃない、託したよ」と渡された私の心情をお察し下さい。

 身近な例から振り返って行きましょう。芭蕉の句に「静けさや 岩に滲み入る 蝉の声」とあるように、沈黙を感じるには、「無音の状態」を作るだけではなく、何か一つの音を投げかけて、その音に耳を「そばだてて」もらい、その音のあとにやって くる「沈黙」が、空間を満たしていくのを味わってもらうという方法があります。これは代表的な例と言えましょう。

 沈黙を創造する、という音響演出は、私のような劇場・ホールをフィールドにしている者は、まだ恵まれているようです。放送や完パケ、ゲームやアミューズメントの 世界のサウンドクリエイターさん達では、沈黙は安易に「無音部分」と受け取られがちで、「音が入ってない」「音が途切れた」「事故だ」「不良品だ」となってしまい、沈黙が演出だということは成立しにくいのだそうです。
そういう「マスを対象とするメディア」や「情報産業」での音表現の限界が、私が指摘している「耳をそばだてることを忘れた子供達」「音に対して能動的になれなくな った子供達」の遠因の一要素である可能性が、ひょっとして無いとは言い切れないとしたら?敢えて限界を超えた音表現を行って「これは事故ではありません」「これは不良品ではありません」「これは演出です」とアピールしてみては如何でしょうか。岩に滲み入る蝉の声の余韻をはらんだ沈黙で10何秒無音が続いたら事故だ、なんて、そんなやかましい夏を芭蕉が謳った訳ないじゃないですか。沈黙の中で音の余韻を噛みしめる猶予は10数秒が放送事故ぎりぎりなんて、そんな規制、みんなでなんとかできませんかねぇ?

次世代の財産、子供達の感受性を破壊してまでも守る理由はないように感じるのですが?如何でしょう?

 劇場の舞台公演における沈黙の創造も、頭を抱えるような現実との闘いの連続です。音を出さない、スピーカスイッチも切ってアンプノイズを出さない、空調も止める、こんなことで「ほら沈黙がやってきました」なんて安易なものではありません。

 その沈黙は何色の緊張をはらんだ沈黙であるのか。
 その沈黙はどんな穏やかさを伴った沈黙であるのか。
 そこにこそ音響演出が問われます。

 私も試行錯誤と後悔と反省と袋小路の連続です。
 ある時は場内の温度を低くすることで、肌寒さからくる皮膚感覚の緊張感を沈黙の緊張感の手助けにと試したこともありました。空調の吹き出し音を聞かせる訳にはいかないので、開演時に室温16度を目指して、開場時に18度まであらかじめ下げておき、開場してから開演までの30分間かけてゆっくりと2度下げていけば、空調の吹き出し音は全く聞こえませんでした。その上で、開幕音楽の最初のコードの、何オクターブも上の音を、開演まで、断続的に、潜水艦のように、今かすかに何か聞こえたような、あれ、聞こえない、気のせいだったのかな、というのを、天井のシーリングスピーカから、「高いところから聞こえる」ように仕掛けて、お客様が口をつぐんで耳をそばだててしまう環境を創ることで沈黙を呼び起こすよう試みました。
結果ですか?う〜ん、大体3/4くらいのお客様には効果があるようなんですがね、まだまだ、私も若輩の未熟者を錦の御旗にして失敗もへっちゃら、という能天気なところがありますから。

「まだまだこんなもんじゃない。これからこれから。」と、試行錯誤と失敗を繰り返して行こうと思います。

 まだ私の年齢では、緊張をはらんだ沈黙しか生み出すことが出来ず、「穏やかさを感じさせる沈黙」は多分、私が老齢に差し掛からないと無理なのかも知れません。また、子供達に「耳をそばだてる」ことを知ってもらうのに、沈黙の創造はそのアプローチの一つにすぎず、そして沈黙の創造という問題は、子供の音環境の問題とは切り離してでも重要なテーマです。

 道程、遥かなり。


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