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 オルゴール、が日本語だ、ということを、恥ずかしながらこの歳になるまで知りませんでした。

 オルガンのオランダ語である「オルゲル」が江戸時代に日本で「オルゴール」に変化したのだそうです。

 あの愛らしい音色のオルゴールと、ふいごのように空気を送り込んで音を出すオルガンが、同じ語源とは、意外な気がします。

 これは調べなければならない。私はオルゴール博物館に行ってきました。オルゴール博物館は東京都文京区と箱根湯本にあります。

 そこで私は、自分の職業にも関わる、オルゴールの正体に驚かされたのでした。(単に無学だっただけですが)

 オルゴールの歴史を紐解くと、オルガンに行き着きます。語源が同じなのはそのためです。

 オルガン、というのは、ふいごのように空気を送り込んで音を出し、鍵盤によっていろんな音程を出す楽器です。厳密に言うと、「いろんな音程」だけではなく、「いろんな楽器の音に似せた音」を出すように作られました。

 その目的は、大勢いなければ出来ない合奏を、オルガニスト一人で演奏できるように、ということでしょう。パイプオルガンやストリートオルガンは正にその目的が求められたものです。更にストリートオルガンは、シャフトを差し込んで回すだけで演奏が可能である、つまり「演奏者の技量を必要としない」、画期的な「再生機器」としてもてはやされました。

 ストリートオルガンはやがて、貴族の家の中にも進出していきます。一つは真新しさを自慢するために、もう一つは、楽団員達を雇わなくて済むために。

オルガン一つで殆どの楽器の音に似せた音を再生してくれますし、シャフトを回せば演奏されるのですから、家人でも簡単に音楽が楽しめます。お抱え楽団はお払い箱です。

 そうです。オルガン、それも手回し式のオルガンは、楽器ではなく、「再生機器」として「家庭に」入ったのです。レコード、CD、の御先祖様の誕生です。

自分の部屋でオーケストラのCDを聴いているのと何ら変わるところはありません。

 しかしこのオルガンには、再生機器として致命的な欠点がありました。それは、「一つの曲しか再生できない」という点です。そして、貴族の大邸宅でさえ「音が大きすぎる」という問題です。

 そこで、内部シリンダーを交換すると、違う音楽を演奏する方式の物が登場します。続いて、時計技師らによって、金属の板を針で弾いて演奏する、現代のオルゴールと同じ方式のものが登場し、産業革命以降のブルジョワ達に大いにもてはやされました。ふいごで管に空気を送り込む従来のオルガンに比べて圧倒的に音量が小さく家庭向きです。そして、私達がディスクを換えるようにシリンダーを換えて、いろんな曲を楽しむ様は、技術や方式こそ違え、現代のオーディオと全く変わりません。

 オルゴールの本質が再生機器とは知らず、楽器の一種だとばかり思っていた私の目からは鱗が落ちっぱなしで、私が歩いた跡が鱗でキラキラしています。

 オルゴールはついに19世紀末に至って、ディスクタイプのものが登場します。シリンダーに替わって金属の薄いディスク、それも現代のアナログディスクとほぼ同じ大きさのディスクが、1曲につき3枚、ジャケットに入っています。貴婦人達はお好みの曲のディスクをジャケットから出し、3枚セットで1枚は高音部、1枚は中音部、最後の1枚は低音部を受け持っていて、3枚を所定のターンテーブルに乗せてシャフトを回すと、3枚がシンクロして動いて演奏します。その音色は、私が今まで聞いたことがない、正にオーケストラの演奏、ただし金属のオーケストラの音が、部屋中に大きな音で鳴り響きました。

 茫然と立ち尽くす私。

 これがオルゴールだったのか。

 私は子供時代からの一つの畏怖が雪のように身体の中から消えていくのを感じました。

 なんだ。エジソンの発明だって、歴史の下地がちゃんとあるんじゃないか。

 蓄音機という発想も、シリンダー式の蓄音機からディスクタイプの蓄音機への進歩も、みんなオルゴールが歩いて来た道じゃないか。

 何もないところからいきなりポンとエジソンが生み出した訳じゃないんだ。

 記録方式と原理が変わっただけで、人は変わってないんじゃないか。

 音響に従事する私達はややもすると「すべてがエジソンから始まった」ように錯覚しがちですが、それより何百年も前から人間は、現代と同じ要求を持ち、現代と同じように楽しんで来たのです。

 ここに、オルゴールが教えてくれる、一つの真理があります。

 時代が変わっても、人は変わらない。

 技術が変わっても、人は変わらず、求め、楽しみ、泣いて笑って妬んで羨んで恋をして、そして「手軽に音楽を」楽しみたい。

 これが、オルゴールから現代へ、そして未来へと続いて行く道なのですね。


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