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 「ほー」。あっちで「ほー」。こっちでも「ほー」。フクロウの団体さんがこの国に舞い降りています。

「こちら、おつりのほうになります」何じゃそりゃ。

「テキストのほうをご覧下さい」って、どっちの方?そう、この場合の「ほー」は法でも砲でもなく、方から来ているようです。

 「あちらの方へ」「あの席の方へ」というように、話す相手にとってある程度の距離のある対象物や方角を指す場合に使われているケースの「ほー」が、突然ホンコン型インフルエンザも真っ青の、強力な感染力を持って、日本語文法に侵入を開始しました。

「こちらの方へ」という言い方は、ごく自然に使われていますが、これって正しいんですかね?私は言語学者ではないので分かりません。どなたかご教授下さいませ。なんとなく聞いていて違和感を感じるんですけれどもね。「方へ」というのは、「あちら」や「そちら」など、話す人と話す相手の双方にとって、ある程度の距離がある場合に使うのでは、と思っているのは私の勘違い?

 このインフルエンザは、割と飲食業のマニュアル文句に蔓延しているようです。

「お皿の方、お下げしてよろしいですか?」

「こちら、定食の方になります」

その度「どっちの方?」と聞き返してみたい!という欲求と衝動が私の喉仏を激しくくすぐるのです。

 別に私はここで「日本語がこんなに乱れて」と嘆いてみせるつもりはありません。それは天に向かって唾するようなもので、私がしゃべっている日本語だって、きっと褒められたもんじゃないと思っています。

 エジプトのピラミッドの落書きに「全く最近の若い者はなってない」と書いてあったそうですし、人類の誕生以来ずっと最近の若い者は嘆かわしかったんです。その嘆かわしさが何百年も続いて、今の私達を「古文」という授業で苦しめてくれています。難解な文字と文法で、平安時代の内裏の跡地から発掘された木片に「勤務中にSEXするな」と書かれていたんですから言葉使いの時代経過による変遷の重要性って何だろう、と考えてしまいます。

 言葉使いが何時の時代も最近の若い者によって乱れて、大和時代から奈良、平安、鎌倉、そして江戸と、変わっていき、それぞれの時代でそれぞれの言葉使いによる文学はきちんと生まれています。別に昔々の「まろは〜でおじゃる」が最も正しく最も美しい日本語だ、とはどなたもおっしゃらないでしょう。

 にもかかわらず、私が今「ほー」が激しく気になるのは、この言い回しの発生にネガティヴな匂いを嗅ぎ取るからです。

 それは、最近の言い回しの、もう一つの特徴に類似性を感じます。

「ほら、私って、○○じゃないですか」という言い回し。初対面の人にもこう言います。

「へぇ、そうなの?」とか「知らないよお前がそうかどうかなんて」と突っ込まれたらそれでジ・エンドなのに、「私って、○○じゃないですか」と言って相手が「うん」と答えるのが予定調和になっている言い回しですね。

 「私は○○です」と断定できない自信のなさと、そう断定したことについて「これ以上そのことについて突っ込んでくれるな」と要求する人間関係の希薄さを感じます。言葉の音の温度がとても低いのです。

 「ほー」も同じです。断定的なものの言い方を回避し、一見柔らかいニュアンスを与えているようでいて、「ここはサラッと流して頂戴」「これに疑問や反論をぶつけてこないで」と要求している言い回しです。

 人間関係が熱い状態を嫌がる、摩擦係数を低くしようとする潜在意識の現れではないか、と感じてしまうのです。

 だから「ほー」を聞かされる私は「どっちのほー?」と突っ込んでみたくなるのでしょう。

 傷つかない人間関係なんてありません。人の数だけ意見や考えがあります。

 考えは食い違って当たり前。意見は噛み合わなくて当たり前。

 これを大前提として、「食い違う原因はどこにあるのだろう」「あの人があのように考えるそのバックボーンには何があるのだろう」と考えるのが、「その人を知ろうとする」行為です。

 それを煩わしがって、中身は希薄でも外殻だけまとまっていればシャンシャンシャン、というのは、個々の人間関係にとどまらず、組織内部や、イベント、セミナー、シンポジウムなどでも最近ものすごく多く見られます。

 段取りは狂い、進行はメチャクチャ、怒号が飛び交い、掴み合いになり、それでも双方が歩み寄れるポイントを何とか探そう、という、温度の高い組織やイベント、人間関係は、一見見苦しいですが、大事です。

 その中からでしか、実りはない、と思います。

 「こちらの方、大変お熱くなっておりまして、スプーンの方でよくかき回してから、お口の方へ、持っていって下さいませ」

何じゃーそりゃー!


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