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 音像定位、音像移動という言葉は、15年以上も前から劇場音響の「次世代の音の演出」ときらびやかに謳われたまま、実用化の目処も実用例も殆ど聞かれずに、まるで朽ち果てた博覧会のパビリオンの如き様相を呈しつつあるか、に見えます。

 映画の世界でのデジタルサラウンドや、パッケージの世界でのDVDのサラウンド、立体音響やヴァーチャルサウンドの医療音響への応用を指をくわえて見つつ、「劇場音響ではニーズがない」「具現化のためのハードウエアの制限が現場に即していない」といった言い訳で、実験と改良を重ねる努力もされずに放置されています。

 しかしこの「音像移動」演出、劇場音響においては、結構歴史が古いのです。
 私が修業した劇場の音響の先輩は、「音像移動で一番音の密度が濃いのは、音の出ているスピーカを持って移動させる方法だ」と教えてくれました
 皆さん拍子抜けなさるかも知れませんが、これも立派な音像移動です。

 大道具の裏で、赤ん坊の泣き声を再生しているスピーカを胸に抱き、役者が赤ん坊をあやす動きに合わせてスピーカをあやすように上手へ、下手へと動く、これは最も原始的にして最も的確な、最もマシントラブルの確率の少ない音像移動です
 映画や放送、パッケージの世界では考えられない、痛快な音像移動テクニックです。

 何年も前の話になりますが、野外でオペラ「アイーダ」を上演した時、城壁の向こうを軍隊が出陣していく、その戦車の音(エジプト時代の2頭立て馬車のアレです)を、城壁の向こうに設置した上手のスピーカから下手のスピーカへ、パンニングにて簡単な音像移動を行うというプランがあったそうです。
 ところが何らかの原因でパンニングが不可能になった。さあ困った。とっさの事で、上手のスピーカをキャスターに乗せ、戦車の音を再生しながら上手から下手までキャスターを転がして走ったそうです。
 野外公演ですから上手から下手まで結構な距離があります。キャスターはガラガラガラーッ!と凄まじい音を立て、スピーカから再生される戦車の音も、かき消してしまうほどだったそうです。
 ところが、この、重いスピーカを積んだキャスターの走る音が、戦車の音に実にピッタリだったということで、とんだ怪我の功名だったそうです。

 話がそれましたが、やがてその後、スピーカを持って移動できないところを、出力セレクトフェーダーのクロスによってスピーカからスピーカへ音を移動させる、という演出が登場しますが、これはもう、あまりもポピュラーですし、演出のニーズから生まれた技術と言えましょう。
 古くは新国劇の「同期の桜」という芝居で、客席後方上部から戦闘機が舞台へ向かって急降下し、機銃掃射の着弾の音が地表でして、舞台下手奥へ飛び去る、という音像移動があったそうで、そういったニーズから、劇場の固定設備の効果用スピーカの数を増やしていくことが出来た、ということを、ある方に教えていただいた記憶があります。

 私がオペで携わった仕事では、池内淳子さんの「鳥影の関」という名作の幕切れで、山の中の分かれ道、相手の方(初演は北村和男さん、再演は萬屋錦之介さん)との別れの場、下手奥で鳴いたウグイスが、谷渡りで鳴きながらプロセのセンター、客席上手の上の方へ、後方へと飛び去って行く、それを聞きながら二人がゆっくりと客席の方へ振り向き、キマル、本当に一幅の絵の様でした。音像移動が役者の演技と演出にピッタリ合致して音が芝居をした、忘れられない仕事です。
 現在私は、モーツァルトのオペラ「魔笛」で、パパゲーノの持つ銀の鈴の音を、グロッケンシュピールで演奏してそれを録音し、その音にRSSをかけて鈴の音が客席の空間をかき回すように移動する、という、音像移動演出の下準備をしています。

 RSSに代表されるヴァーチャルサウンド、3D音響は、多数のスピーカを使用しての出力の連続可変による音像移動とは異なり、位相操作による聴覚の錯覚をもたらすもので、効果の程は多分に聞き手の個人差が大きく出ます。
 ですから不確実さが残りますが、従来の音像移動とは違うテイストを提供できる魅力があり、成熟が期待される分、現場での実験からフィードバックが不可欠です。

 音像移動は技術ではなく演出です。デジタルの時代になり、どんな音響演出が可能になるのかは、脚本家や演出家の方達には見当もつかないことで、音響さんが、そのプレゼン役をする必要があります。脚本を読み取り、演出を汲み取って、より効果を上げられる音響演出を思いつく感性を右手に、それを具現化する新しい技術を左手に、つまり両方を携えた音響さんが必要です。演出家や役者の御用聞きの音響さんでは何も生まれませんし、新しい技術を知らない音響さんからも、何も生まれません。

 今、舞台音響に於いて、音像定位・移動演出の進歩が停滞しているのは、そういう音響さんが少なくなっていることから起きる現象の一つであろうと、危惧しています。


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