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 ミュージカルというのは、本当に贅沢なものだなあと、いつも痛感するのは、実は、稽古場です。

 本番1カ月半前から立ち稽古が始まります。
 普通のお芝居ですと、立ち稽古に1カ月半は長いように感じますが、ミュージカルの場合、芝居の稽古と平行して、歌の稽古、ダンスの稽古が入ってきますから、1カ月半でも足りない位です。
 私がいつも関っているミュージカルは、音楽が全て生演奏なので、(しかもストリングス主体のアコースティック)オケがレッスンしているスタジオにも顔を出さなければなりません。

 演出家や照明、舞台監督は、芝居の稽古と、時々はダンスの稽古にも顔を出したりしますが、音響は、芝居、音楽、歌、ダンスの全てに関っていますので、えらい騒ぎです。
 そして稽古が終わると、自分のスタジオで効果音作りに勤しむ訳ですから、慢性寝不足ですね。
 通し稽古になってくると、稽古場は大爆発です。
 体育館のようにだだっ広く天井の高い稽古場。スタッフ席が端から端までビッチリ埋まります。
 中央が演出家。この演出の先生が音に滅法うるさい先生で、稽古の時は、演出家のとなりに私が座っていないと、稽古がスムースに進みません。
 演出家の右に舞台監督、左に音響の私。舞台監督の隣には照明さん、そのまた隣には美術さんと衣装さん。
 反対側、音響さんのとなりには音楽監督、作曲家が座り、その隣には振り付けの先生と歌唱指導の先生。
 音響オペレータは私の背後に、櫓のようにオペブースを組み上げて音出しをします。
 演出家の背後には演出助手、舞台監督の背後には大道具、小道具、舞台監督補がいます。

 スタッフサイドだけでこ〜んなにいるんです。
 ちょっとした芝居の出演者の数より多いんですから大変です。
 これに、出演者が約50人程。もちろん群舞のダンサーさん達を含めての数ですが。 加えてオケが12人程。皆さん、これだけの人数が、8時間から12時間、怒鳴ったり叫んだり、飲んだり食べたり煙草を吸ったりした後に出るゴミの量を想像してみて下さい!
 これだけの大人数が、それも老いも若きも、幾世代にもまたがって集まって、一体何をしているのかと言えばただ一つ、「幸せな夢の一時をお届けしたい」と、そればっかりにこうして稽古場という「夢を焼き上げる竈」の中で、竈さながらに火傷するような熱いテンションの中で、叫んで、歌って、跳んで跳ねて、演奏して、考え込んで、議論して、図面を引いて、フェーダーを上げて下げて、譜面をめくって、針に糸を通して、泣いて、笑って、怒って、悩んで、やがてそれらは一つに収斂されていって、大きな渦となって行くように、竜巻きとなっていくように、舞台作品へと姿を変えていきます。

 そしてこの熱気は、舞台が、一期一会の、やり直しも記録も効かない世界だからこそ沸き立って来るものでしょう。
 その、混沌の中から、作品の姿が輪郭を現わし始める瞬間というのは、いつ立ち会っても、ゾクゾクするほど感動的です。

 このような、多くの人のエネルギーが集められて、一つの形を成して行く時に、その人数が多ければ、そして集まってくるジャンルが多岐に渡れば渡る程、やはりこれは、「贅沢だなあ」と感じずにはいられません。

 それはこのような大掛かりなミュージカルだけでなく、歌舞伎、オペラも同様に感じます。
そう感じる背景には、集まってくるジャンルが多岐に渡り、人数が増えて行く程、それが一つに纏まることが大変難しい、ということがあるからです。
 大変だからこそ、敢えてそれをやろうとし、そしてそれが出来て行く光景を目のあたりにすると、「贅沢」と感じるのでしょう。

 この中では、それぞれ全く違ったジャンルのスペシャリスト達が、例えば音響さんは音響さんである前に、照明さんは照明さんである前に、まず、「演劇人」であることを求められます。そうでなければ、それぞれから立ちのぼったテンションが、渦を巻いて行く様に収斂することができません。

 良い作品を作るためには、時として、心を鬼にして、皆さんに済まないと思いつつ、我が儘の塊にならねばならない時もあります。時には心を広く持って、気持ち良く譲歩することも必要です。

 スポーツの世界で言われる「One For All,All For One」が、正にここにあります。 この言葉があってはじめて、舞台は、「総合芸術」ということが出来るのでしょう。


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