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 金沢市民芸術村、というところに来ています。

 旧大和紡績工場の建物と跡地をそのまま活かした、このアートスペースに車から降り立った時は、小雨の中、紫陽花が、歴史を感じさせるレンガの塀と門の回りで濡れながら揺れていました。

 静かな、本当に静かな処です。

 建物内部も、レンガと木で造られた、明治時代の名残をそのままに留める、思わずゆっくりと深呼吸して、自分の身体の中の時間のテンポを、う〜んとゆっくりにしたくなる、天井の高い、工場跡地です。

 本当に、雨の日の、レンガと木造の建物の中って、何ていいにおいがするんでしょう。

 ここは金沢市が、一般に開放する公共のアトリエです。演劇、音楽、それらの稽古にも発表の場にも使えます。特筆すべきは、通常の公共施設が一日単位で利用を受け付け、開館時間と閉館時間が決まっているのに対して、ここは複数の日数を24時間徹夜で使用が可能だ、ということです。当然、機材や道具・衣装も置きっぱなしにできます。

 つまり、借りている間は、貸手の存在を忘れて、完全に自分たちだけの時間と空間に出来るのです。

 これがどれだけ重要で有り難いことか、「モノを創造する」人には、よ〜くお分かりいただけると思います。もう、私がここまで話した事だけで、「ああ、そこへ行ってみたい!」と思われていらっしゃる方も多いでしょう。

 スタジオには、お芝居が上演できそうな大きなブースが付いています。通常なら、搬入してから優に1時間はセッティングで潰れ、バラシにも1時間、つまり、8時間借りても実質の作業は6時間しか出来ないのが通例です。公共の施設ならその間も、無遠慮な館内放送に耳を塞ぎ、視界に入るものは全て疑ってかかるような巡回警備員に愛想笑いをして、心の底から「くつろぐ」ということはありません。常に貸手がその存在を誇示してくるのです。設備がどんなに充実していても、これは、「モノを創造する処」ではありません。

 作品によっては、テンションを上げて、一気に創り上げる、気合いで勝負のものもあります。

 また、ものによっては、じっくり腰を据えて、慈しむように創りたいものもあります。

 どちらにしても、己の心を思うがままに開放できる「精神的な環境」が不可欠です。そしてそれは、従来の公共施設においては、話題にすらされてこなかったことです。

 それが、ここ金沢市民芸術村にはあるのです。

 建物の回りに沿って、人口の、川、というか、お堀が作られてあります。その回りには緑があり、お堀はオープンスペースのところで大きな池となり、池の中には島が作られていて、そこをステージに、お芝居やコンサートも可能です。

 水がある、ということが、人の心にどんな作用をするのか、改めて身をもって知りました。

 作業に疲れて休憩をとっている時、水のある所に来ると、たまらなく気持ちが癒され、落ち着き、心に潤いが戻ってきます。

 今回同行した、大阪でヴァーチャルサウンドの作品を手掛けて活躍されている西谷さんが、すっかり此処を気に入って、「これはいい、何とも、モノを創る気にさせる処だ」と言っていました。

 この西谷さんの一言に、金沢市民芸術村の本当の良さが集約されていると思います。

 巨費を投じてモノを創るのに必要な設備を備えた施設は、今や全国に溢れ返っています。

 しかし、本当に心置きなく作業ができる、この、「心置きなく」を真に理解した施設は皆無です。

 更に、「ここにいると、何だか、作品を作りたいという気持ちが湧いてくるよ」なんて言える施設が、どこか他にあるでしょうか?

 昼下がり、作業途中で休憩をとり、スタジオから水辺に出ていると、近所の幼稚園の子供たちが、広い庭へ入ってきて、お弁当を広げて食べ始めました。

 静かだな、と感じました。

 静かだ、というのは、音がない状態ではありません。静粛性を求めるために全ての音を排除する人はいないでしょう。芭蕉の「静けさや 岩にしみ入る 蝉の声」の句の通りです。

 作業で疲れた耳と頭を休めるために外へ出て、そこに水辺があって子供たちがお弁当を食べながら笑いさざめいている、そんな情景に心が癒され、また新たな創造への意欲が回復してきます。従来の施設は、ただ「静かに!」というために、近所の幼稚園が子供を連れて入ってくるなんてこと、「関係者以外立ち入り禁止!」と、締め出していたでしょう。ここは誰でも出入り自由なんです。

 紫陽花の花に、また、雨が降り始めました。


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