いろいろな国の、代表的な劇場、と言われて、皆様はその名前と同時に劇場の建物、つまり外観を容易に思い浮かべることが出来るでしょう。

 ウィーンなら、あのシュターツオパー、ムジークフェライン。イタリアならミラノのスカラ座やフェニーチェ劇場、最古のプロセニアム劇場のテアトロ・オリンピコ。そしてパリのオペラ座。

 アムステルダム・コンセルトヘボウは屋根の竪琴が有名で、その竪琴はシンボルマークとして場内の至る所に見ることができます。(土産品の腕時計やマグカップにまで!)

 日本は、とりわけ東京は、世界でも類を見ないほど一つの都市に劇場やコンサートホールがひしめき合っている街です。では、その劇場やホールを、名前を言われて外観が思い出せる所が幾つありますか?

 外観がただ異様で特殊、というだけではその役目を果たしていません。最も大切な約束事は、劇場は非日常の空間、お客様が夢をひととき観る場所だということです。私の知る限り、それを以て成立し得る外観を持つ劇場は、歌舞伎座、校倉造りで有名な国立劇場、そして今や街そのものが劇場だと言われる劇場都市・東京を象徴するかのような東京芸術劇場、この3つです。残念ながら日本の劇場の殆どはビルの一角に組み込まれていて、外からは到底そこが劇場とは思えません。実際の運営形態がどうであれ、事情を知らないお客様から見れば何だか「間借りしてるみたいだね」と言われたことがあります。これでは夢もショボくなってしまいます。

 お客様がチケットを買われたり、プレゼントや福引の抽選で当たったりして手に入れられた。「うわあ!当日何を着て行こうかなあ!」とワクワクしながら洋服箪笥と相談を始める。コンサートや観劇はここから既に始まっているのです。いよいよ当日になって、そのお客様が劇場に到着した、そして建物を見上げる、その時のお客様の期待でパンパンに膨らんだ想いを受けて立てる外観でなくてはならないのです。

 そして受付の恭しい挨拶。どんなに恭しくても過ぎるということはないでしょう。主人公は演目の主役でもプリマでもマエストロでもなく、それを観に来た自分自身だと思って頂かなくては。

 一歩ロビーに踏み込んで、「うわあ…」と思わず立ち止まって息を呑んでうっとりする一瞬が必要です。この時まさに、現実から、日常から、夢の世界へ入ったのですから。

 例えが変ですが修学旅行を思い出して下さい。お寺の本堂に一歩踏み込んで床がギイッと鳴ってドキドキして、上を見上げて「うわあ…」と息を呑んだ、あれを越えるワクワクを御提供しなければなりません。

 お寺に負ける様じゃ、とても夢を売る、非日常を売る場所にはなりえません。

 外観やロビーに「こんなにお金をかけて」と批判をする声を聞くことがありますが、バンバンお金をかけてほしいと思います。批判が出るのは、センスが悪いからでしょう。見る人を満足させるセンスの良さで仕上がっていれば、批判は出ないと思います。

 昨年も大きな劇場やホールが幾つも完成しましたが、いずれも一般の人には、「これが劇場?」と首を傾げさせる、巨大なだけで夢やロマンを膨らませてくれないデザインの建物ばかりでした。

 劇場・ホールはお客様に非日常の、夢の一刻を差し上げる場所という、空間としての約束事は、そこで働く人間にも言えることです。例えばクラシックコンサートの収録で、心ある放送局やビデオ屋さんは、ちゃんと本番には客席内のカメラ担当の人がスーツに着替えます。

 本来お客様に姿を見せない大道具さんが、日舞などで転換時に花道に所作を敷く為にお客様の前に現れることがあります。その時、大道具さんは、揚幕の中で劇場の紋を染め抜いた着物を姿見で整え、櫛で髪をビシッと撫で付けて、「ヨシッ」とばかりに登場します。 ところが音響さんの中には「いい音が聴ける場所でなけりゃ、いいオペは出来ない」と、夢の世界へいざなう客席に汚い機材とヨレヨレの服で踏ん張ってる方もいらっしゃいます。もっともな言い分、理由はおありでしょうが、お客様の立場からすればそんなもの「知ったこっちゃない」ということも忘れてはなりません。本番用にツーポーズの服装を用意するとか、ブース回りを綺麗にするとか、心配りが肝要でしょう。

 最後に。貴方が劇場やホールへいらした時に、貴方を完璧に現実から開放し、且つ夢の世界から絶対に現実へ引き戻されない絶好の方法をお教えしましょう。

 貴方の携帯電話のスイッチを切るんです。

 こいつは効きますよ。是非お試し下さい。

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