毎年、年末年始が近づくと、記憶の向こうで居眠りをしていた、ある思い出がムックリと起き上がって、私を幸せな気持ちにしてくれます。

 全く、体験による思い出というものは、頭の中だけで蘇るものではなく、耳の奥や、肌の上、舌の上、ありとあらゆる感覚を一斉に刺激して、身体中を沸き立たせ、血液が喜びで沸き上がり、うっとりとあの一瞬に自分をいざなってくれるものです。

 忘れもしません。1992年から1993年にかけての年末年始でした。私はトランクを引きずり、半ば茫然と、ウィーンに棒立ちになっていました。

「ホントに来ちゃった…」

 キッカケは思いがけずも単純でした。

 或る人に、「世の中に贅沢というものはいろいろあるだろうが、音楽の世界で贅沢といったら何だろうかね?」と訊かれたのです。

「そうですねえ、音楽と一口に言っても、あまりにジャンルが多岐に渡り過ぎてますから。人によっては、プレスリーやビートルズの縁の地を訪れ、足跡を辿ったり、ジャズの好きな人ならニュー・オリンズでしょうし。」

「じゃあ、君が今思い付く、音楽の贅沢というのは何かね。」

「そりゃあ、年末年始にウィーンへ行き、ホテル・ザッハーのスィートに泊まって、大晦日にタキシード着てホテルの向かいのシュターツオパーで「こうもり」を観て、そのまま夜通しでホテル・ザッハーのニューイヤーパーティーで羽目を外し、徹夜明けでムジークフェラインのニューイヤーコンサートを聴くことでしょうねえ。」

「ふむ、そうか。じゃ、それ、儂が叶えてやろう。行っといで。」

「へ!?ひえええ!?」

何が何だか気が付くとホテル・ザッハーのポーターに恭しく荷物を運ばれ、あんまりボーッとしていたので私まで運ばれてしまうところでした。

 あまりにも恵まれ過ぎたお膳立ての上で私は、あまりにも平凡なウィーン観光を続けました。出発前、私の旅行プランを耳にした或るクラシック音楽愛好家は「そんな旅行、お前にゃ猫に小判だ!」となじりましたが、ハイ、全くおっしゃる通りだと思います。

 ホテル・ザッハーのスィートは宮殿のようで、つい今し方、拝観料を払って(拝観料ってのもヘンか)観て来たシェーンブルン宮殿と大差ありません。ホテルの名を冠したザッハトルテはリビングのテーブルに積み上げられ、幾つ食べてもいつの間にか欠かすことなく補充されています。

 モーツァルトの家や自然史美術館など、お決まりの見所は、シーズンがシーズンだけに外国人の旅行者だらけで、きっと私は本当のウィーンに出会ってはいないのだと思います。

 大晦日のシュターツオパーもムジークフェラインも平土間のど真ん中、どちらも前から10列目程の、理想的な席でした。その舞台のすばらしさ、演奏の感激は、確かに私個人にとってはゆるぎないものでああっても、個人的なものであり、受け止め方は人それぞれでしょう。

 天気にも恵まれ、元旦のウィーンは日本晴れでした。ええ、あれは確かにウィーン晴れではなく日本晴れです。ドナウの向こうに富士が見えるかのようでした。

 ただ、気が付くと、ウィーンの思い出の中で、いつも、チターの音色が響いてきます。

 ウィーンで最も由緒あるというワインケラーの当主におもてなしを頂いた時も、チターの演奏者が店の中央で演奏をしていました。

 私にとってウィーンはそもそも映画「第3の男」の舞台です。あの有名な主題曲の甘く軽やかなメロディー、それでいて大人の男がどこか切なくなる、そして軽快なメロディーに似付かわしくない、分割占領下の大戦直後の物騒で暗いウィーン。

 チターが、ハプスブルグの長年の宿敵だったオスマン・トルコから入ってきた、中近東の流浪の民の楽器をルーツに持つ、と聞いて、ようやくこの音色の、ウィーンにマッチしているような、違和感を感じるようでいてそれすらウィーンの奥深い味わいに変えてしまうような、その「深み」を感じ、その向こうに、ウィーンそのものの「深み」をも感じさせるのです。

 ワインでしたたか酔って火照った頬と額に、張り付くように冷たいウィーンの夜風を浴びながら、そんなことを頭で考えるのでなく身体で実感していた時間が、私にとって彼の街での思い出です。

 嗚呼、件の、前述の知人の声が聞こえてきそうです。

「だから猫に小判だって言ったんだ!」