レインツリー、を御存知ですか?

 レインステイツリー(雨の宿る木)、またはレインスティックとも呼ばれる、南米の楽器です。

 南米には、いろいろと変わった打楽器系の楽器がたくさんあります。

 それらの楽器が今、若い人達の間で大変人気を呼んでいます。

 それらの楽器の特徴として、自然の音や、身の回りの音を表現する楽器である、ということが言えます。

 つまり、これらは効果音の擬音の道具に近いものなのです。

 これがどういうことかお分かりでしょうか?彼らは、自然界の音や効果音も音楽と見なして「演奏」する、という訳です。

 西洋音楽では、時々、雷の音を太鼓で、風をフルートで表現したりすることがありますが、その場合はちゃんとメロディーがあって、確実に音楽となっています。 しかし、南米の打楽器群は、自然音をそのまま表現していて、それが音楽として成立するという点で、西洋音楽とのスタンスの差がはっきりしています。

 「アコースティック」という言葉の、根本的な意味合いを、垣間見る思いです。

 さて、話をレインステイツリーに戻しましょう。

 ラテン音楽のパーカッションは、演奏者の前に、見たこともない変わった「物体」が、それこそとても楽器には見えないようなものが沢山並びますが、レインステイツリーもその一つです。見かけは只の丸太ン棒。材質は各種あるようですが、私が愛用しているのは、サボテンをくりぬいてよく乾かしたものに、中に砂のようなものを入れた奴で、砂時計のように傾けて音を出します。

 傾け方、中の砂の量によって、サラサラサラ、キラキラキラといろんな音を出しますが、私のには、実に素敵なコブ(節)がついていて、そこを中の砂が通ると、キャラキャラキャラと、星くずがこぼれるような音を立て、今までウットリしなかった女性はいません。

 こんなふうに、いろんな擬音的楽器に接するうち、ある、面白いことに気がつきました。

 例えばこのレインステイツリーですが、私たちがこの音を聞いて、美しいと思いこそすれ、すぐに雨を連想はしません。

 このキラキラという音を雨と聞くか聞かないかは、その国の風土によるもので、逆に言えばその風土が楽器を生み出している訳です。

 このキラキラと美しい音を雨と聞く人はきっと、雨の少ない、雨が得がたい恵みのものである、暑い国の人でしょう。日本のように水が豊かで、水は恵みであると同時に時として災害をもたらす風土では、水の音を星屑の輝きのようにはなかなかイメージできないのではないでしょうか。

 また、オーシャンドラム、という楽器があります。これは、スネアに似たものの中に小さな金属の粒を沢山入れたものですが、原理としては、日本の「波ざる」と同じです。波ざるの場合には、油紙を貼ったざるの中に、小豆を入れて、ざるを傾けて小豆を流すことで波の擬音を作ります。

 ところが、聞き比べた印象は、全く音が違うというのは当たり前なのですがそれ以上に、波ざるの音は、まぎれもなく日本の波の音です。外国のどこの海の情景も似合いません。

 それに対しオーシャンドラムは、誰がどう聞いても南の島の海の音です。

 誰もいない、360度見渡せてしまうような小さな島の、真っ白な波打ち際の、青い空、まばゆい太陽までもが目の前に現れるような、もしくは夜の、昼間の名残の火照りの様な砂の熱さと、存外に涼しい海風の中で、夜の吐息のような波の音が広がります。

 擬音は、その土地の風土によって、またそれがどう受け止められているかという文化的な相違によって、更には、「オノマトペ」と呼ばれる擬音を言葉に置き換える時点で、言語の相違のよっても、全く違うものになるのでしょう。

 あまり良い例ではないかもしれませんが、ニワトリの鳴き声を日本ではコケコッコー、外国ではクックドウールドウーと聴きます。日本のコケコッコーは、いかにも、母音なしに言語が成立しない民族の擬音語です。これを、日本も外国も昔から、舞台では笛を使って表現していました。

 日本の舞台でコケコッコーを模した笛を吹いても、外国の人は理解できます。その逆もそうです。ただ、「これはきっとニワトリを表現しているんだな」ということは分かっても、外国の人が「コケコッコー」と聞き取ったりはしません。

 また外国の舞台でニワトリの声を笛で表現しても、私達日本人は、それがニワトリだということは理解できても、それは「コケコッコー」でも「クックドウールドウー」でもなく、「ケッキョキョー」か「ピッチャチャー」くらいにしか聞き取ることはできません。

 擬音とそれを表現する楽器の、洋の東西の差、探していくと面白いですよ。話が文化人類学的に広がっていきます。