ミュージカル「若草物語」3カ月連続の特集の最終回です。

 オルコット原作の若草物語のストーリーに、太平洋戦争末期の日本の4姉妹の話をクロスオーバーさせて、脚本・演出を手掛けられた福田善之先生の世界の素晴らしさ、そしてそれを受けての西村勝行先生が美しいメロディーを用意されて、正に珠玉、と呼ぶべき作品に仕上がりました。

 原作では、メグ、ジョー、ベス、エイミーの4姉妹の父親は南北戦争に出征しますが、その小説をこよなく愛する日本の4姉妹の父親は医者で、クリスチャンであり、それが故に激しい戦地へ送られ、負傷して、佐世保の軍港に送り返されて来ます。そこで息を引き取りますが、通夜の晩、戦地から父親が最後に投函した手紙が届く、という筋立ては、観客の涙を誘います。

 その手紙を母が4姉妹に読んで聞かせるのが歌になり、西村先生の美しくも哀切極まるメロディーで、全ての公演で、客席の8割が本当に、文字通り、すすり泣いています。

 大袈裟な表現じゃありません。本当にそうなんです。

 こんな公演、初めてです。

 歌が終わり、余韻のメロディーの中で、母親が読み聞かせた手紙は、実は軍の検閲で全て真っ黒に塗り潰されていて、母親は娘の為にその悲しみをこらえて、その場で手紙の文面を自分で創って語り歌って聞かせた、という事が分かり、娘達の引き裂くような慟哭の中で暗転、というシーンでは、客席のあちこちから、本物の嗚咽が上がって演奏が聞こえないほどです。

 このくだりはさながら勧進帳のそれですが、今の世の中、勧進帳で泣ける人はそう多くはないでしょう。

 こういう悲劇の中、懸命に、けなげに生きようとする4姉妹に、忍び寄るかのように、押しつぶすかのように、軍歌が、軍靴の音が、空襲警報、爆撃、B29の音が、あの時代のパノラマを描いていきます。

 今まで山ほどの公演に携わってきましたが、これほど作業をしていて、胸に迫ることはありませんでした。

 そしてラスト。それまで2時間あまり、今までお話したような、いろんな出来事といろんな想いを重ねて、4姉妹が、それでも明日を信じて生きていこうとするその矢先、原爆が全てを吹き飛ばします。

 この原爆に込めた私の想いについては、前回、前々回にお話ししました。

 ここでは観客に、4姉妹と共に原爆を浴びる、という疑似体験を感じて貰わなくてはなりません。

 それまでの場面の様に、舞台の様子を見て泣く、というのとは違います。同じ泣くのでも、泣きの質が違うのです。

 舞台の姉妹の家の壁の日めくりが8月6日になっています。遠くでかすかにB29が飛んできます。空襲警報解除のサイレンが鳴り、4姉妹がホッとした顔で防空頭巾を脱ぎます。今日も暑い一日になることを予感させるような、クマゼミの蝉時雨が入道雲のように沸いてきます。壁の時計は8時10分を回りました。

 客席のあちこちで観客が囁きあっています。はっきりとは聞き取れませんが、言葉の端々に「広島」「原爆」という言葉が聞き取れます。観客もこれから何が起きるのか、分かっているのです。

 時計の振り子のカッチン、カッチンという音が、だんだん大きく、エコーを伴って響いてきます。蝉時雨も響くように大きくなっていきます。4姉妹と母親は、いつもと同じ、何気ない朝の風景です。客席中が、パンパンに膨れ上がった風船のような緊張感です。

そして、「いってまいりまーす!」

ピシイッ!

耳をつんざく、という音にはしたくありませんでした。

観客の身体をつんざく音の塊を創りたかったのです。

 そのための音の演出、音の素材、音を再生するシステム、どれひとつ欠けても成立しません。

 客席が文字通り、一斉にのけ反りました。

 ああっ、と声を上げる人、顔を背ける人、パンフレットを握り締める人、ハンカチを顔に当てる人。

 ここで体験してもらう悲しみは、それまでのストーリーで感じる悲しみとは全く別のものです。

 奥畑先生の、真っ白な目つぶしの閃光、一瞬真っ暗になって、ゴゴゴゴゴ…という爆音と共に、真っ赤に染まった舞台の中、シルエットになった4姉妹と母親が、かげろうのようにゆっくりと崩れ落ちて行きます。

 そして暗転。客席が一斉にため息をつきました。

 原爆は全てを廃虚にしました。しかし広島にも長崎にも、やがて芽が出て、花が咲き、若い葉が萌え出たのです。ラストのコーラスで出演者全員が「若草よ永遠に」と客席に祈るように謳いかけます。何故この作品で若草なのか、その答えがすべてそこにありました。

 自分で携わった作品ながら、本当に、なんという公演でしょう。

 この作品に出会えた事を幸いに思い、誇りに思います。もう既に、アンコールの中から、再演を、もっとあちこちでの上演を、と、熱を帯びた声が上がっています。

 もしこの作品の上演を見掛けたら、是非、お出掛け下さい。