原爆の音を作ることになりました。

 あるミュージカル公演のことです。

 貧しくとも仲の良い母親と娘達、その家族を見守る優しい人々が、敗色濃い終戦末期、空襲や軍人の横暴、戦地での父親の戦死を乗り越えて、それでも明るく、明日を信じて生きていこうとする矢先に、彼らの上に原爆が落ちる、という、あまりにつらい1発の効果音です。

 作・演出は福田善之先生。ご高名な方なので、ここで改めてご紹介するまでもないでしょう。先生は稽古場で私に、「僕はねえ、江田島に行ってたんだよ」とお話し下さいました。

 大きな、重いものを先生からずっしりと受け取ってお預りした、という私の気持ちをお察し下さい。

 私は東京オリンピックの年の生まれで、太平洋戦争はおろか、ベトナム戦争だってハナタレ小僧の頃です。ただ、両親は共に空襲、疎開を経験し、それを私に語り伝える、ということを私が子供の頃からキチンとしてくれました。

 幼い子供の時期に、親から聞かされるそういう話は大変貴重です。

 私の親は、「戦争はいけないものだ」と大上段に振りかぶるような、教条的な話し方はしませんでした。

 そのかわり淡々と、自分が体験した戦争の、見たもの、聞いたもの、においや温度に至るまで、経験したものでなければわからないことを話してくれました。

 それは、子供の想像力と理解を遥かに越えたもので、そういう話を聞くだけで、教条的に押し付けられなくても、

「こりゃあ戦争っていうのはどえらいもんだ、絶対にやってはいけないんだな」

 と自然発生的に思わずにはいられないものでした。

 恐らく、昭和30年代最後の年に生まれた私の、前後2〜3年位までが、そういうものを親から伝えて貰えた最後の世代なのでしょう。

 この公演で私の下に付くスタッフは全員20代。彼等の両親が既に戦後生まれで戦争を知らないのです。

台本を読んでも、全くリアリティが持てないでいるようです。

 福田先生が、この作品を上演するということ自体に意義を感じていらっしゃるということは十分に感じられます。

 忘れてはいけない。風化させてはいけない。

 なればこそ、この1発の効果音は、大変重要になってくるのです。

 この原爆は、何を破壊し、何を吹き飛ばし、我々は何を失うのか。

 福田先生が、この1発に、どんな思いを込めていらっしゃるのか。

 それを受け止め、その思いをお預りしなければ、単に音量として音色として迫力のある効果音を作っても、原爆の音にはならないでしょう。

 原爆の音を爆発の直下で録音することなどできませんし、これはリアルというよりも、お客さんの心情に訴える「心象音」です。

 台詞の中で「えーと、今日は8月6日…」と言いながら日めくりをめくる芝居があります。娘達が工場へ出掛ける時に「いやあ、この時計止まってるわ、お母さん、今何時?」と聞いて母親が「急ぎなさい、8時を回ったところだよ」と言います。

 つまり、お客さんは、もうすぐ原爆が落ちると分かっているわけです。いつ落ちるか、落ちた瞬間の舞台はどうなるのか、酷い言い方ですが無意識の内にある種の「期待」を持ってその瞬間を「待って」いるのです。

 ドキドキ、ハラハラしながら、でもそれは「ワクワク」しているのです、無意識のうちに。

 それはそうでしょう。人間ってそういうもんです。

 お客さんを責められません。

 そういうお客さんの気持ちをもろともに吹き飛ばして、圧倒的な大ショックを与え、作品のテーマに迫る原爆の音を作るのです。

 ですから、お客さんの「いつくるか、いつ原爆が落ちるのか」と張り詰めていた空気を引き裂く音から始めました。

 それは、舞台の上の世界の、時を引き裂く音でもあります。登場人物達の時間が奪われ、永遠に時が止まってしまう、その「時」の悲鳴です。

 そして一瞬の間があって、それから爆発の大轟音が響き、劇場中を揺るがせます。

 これだけの音量と重低音を具現化するために、原爆専用のスピーカシステム、高域用が4発、スーパーウーハが2発を、従来のシステムに追加して仕込むことにしました。原爆1発だけを再生する為のシステムですが、美術の方も舞監の方もこちらの演出意図をご理解下さり、特にスーパーウーハはかなり大型なのですが、それを考慮に入れた舞台図面をあげて下さいました。

 現在、その公演に向けて奮闘中です。この本が出るころは、本番目前で大騒ぎでしょう。

 次回、この続きをご報告致します。