本水?もとみずさんて誰のことだ?いえ今回の話は、本水「ほんみず」のあれこれについて。

 この暑い盛り、昔から舞台には、「夏芝居」というのが人気を呼びます。現代では怪談ものが納涼公演の中心にされているようですが、本来は怪談ものは、夏芝居全体の中の趣向の一部で、夏を感じさせ、夏の風情や涼しげな舞台を観せて納涼とするものです。

 有名なところでは「伊勢音頭恋寝刃」(いせおんどこいのねたば)が、「御存知」と呼ばれる當り狂言で、舞台上の役者衆が浴衣姿で登場し、夏の風情と涼しげな心持ちを観客に楽しませるのが人気です。

 怪談ものでは「四谷さま」と呼ばれる「四谷怪談」、「牡丹燈篭」などが、舞台に掛からない夏はない、という程ですが、それら公演の中の演出の一つが、今回の話題、本水を使った演出です。

 最近ではこの本水、歌舞伎以外の、また夏芝居以外でも、演出として使うことが増えて来ました。

 技術の発達により、本水は、池、川、お堀といった「溜めて」使う他に、雨(霧雨もある)、滝のような「降らせて」使うこともあります。特に雨は、本水ではなく「本雨」(ほんあめ)と呼ぶこともあります。

 しかしこの本水、なかなかに使いにくく、観ていると「こりゃあ失敗だな」というケースが多々あります。

 というのも、水に限らず舞台の上は、虚構の世界を約束事で観せるものですから、そこに一部分ポッカリと本物が入ってくると、周りが一気に嘘臭くなり、それが結果として本水が芝居から「浮いている」ように観えてしまうのです。

 歌舞伎というのはよくしたもので、観客を魅了するものは筋立てだけでなく、役者や絵のような舞台で、その場その場の美しさというものを大事にします。極論ですが、一瞬の美しさの為には、筋立てなど幾らでもつじつまを合わせてしまいます。ケレンも然りで、そこが歌舞伎の懐の深さなのですが、本水もまた同じです。

 つまり美しさの為には、筋立ての必然性など無意味だというスタンスなのです。

 ところが普通のストレート・プレイで本水を使うとこうはいきません。

 舞台で子役や動物は役者を喰ってしまうといいますが、本水にしても、よほどストーリー上の必然性がないと、観客はそこまでの筋から外れて、「わあ水だ、ほんとに降らせてるんだ」と面白がってしまいます。

降らせている方は雨を降らせているつもりでも、観客は水が降っているとしか感じてくれないのですから難しい話です。

 歌舞伎だと、面白がってくれて結構、というスタンスが強みです。

 本水を使った公演で、水が見事に芝居と融合し、水が芝居をして、「本水の必然性」を果たしていたと思われるのは、10年近く前、劇団四季が日下武史さんの主演で小劇場でのストレート・プレイ「ゴールデン・ポンドの畔」という芝居でした。

ヘンリー・フォンダ、ジェーン・フォンダの親子共演で映画「黄昏」にもなったこの名作は、役者の名演と相まって、湖に見立てた本水の、ヒンヤリと湿った空気が客席に立ち込め、静かな湖畔のリアリティが見事に伝わりました。

 一方、歌舞伎では90年に中村勘九郎丈が主演した、「怪談乳房榎」(かいだんちぶさえのき)でしょう。

 クライマックス、十二社大滝の場(現在の東京新宿区角筈、西口公園付近にあった滝)での凄惨な大立ち廻りは、勘九郎丈が斬り合う二人を二役早替わりで演ずる趣向もあって、息を飲む激しさでした。

 1トンの水を使った、そびえる様な大滝がゴウゴウと舞台の上で音を立て、その滝の中で、滝つぼで、勘九郎丈が暴れ回っては舞台、客席をびしょぬれにし、髪を振り乱して立ち廻りをしては見得を切ると、客席は興奮のるつぼで、熱狂的な拍手と歓声が飛びかいます。すばらしい公演でした。

 さて、この本水、音響にとってはなかなか強敵で、それぞれの現場であれこれと苦労をしています。

 もっともポピュラーな防水アイテムはコンドーム。

 ある劇団付きの女性の音響さんが、劇場近くの薬局へマイクの防水用に「コンドーム2ダース下さい!」

 薬局のオヤジびっくり。その女性も誤解されまいと、「領収書下さい!」とあくまでも自分の本意ではない事を強調したつもりが、ますます誤解されて、

「早い時間から商売繁盛で。頑張んなはれや」

と、深みにはまってしまいました。

 また、前述の「怪談乳房榎」では、私が音響だったのですが、立ち廻りの前の男の台詞、滝の中から現れる観音様の台詞など、激しい滝音の中で明確に客席に拡声し、尚且つマイク臭い声にはしたくないし、舞台はゴツゴツの岩場ですからマイクの仕込み所には困りませんが、防水が苦労で、防水処理と集音の明瞭度は反比例するしで、大変でした。何度も勘九郎丈の楽屋に伺い、ああでもない、こうでもないと工夫をこらしてはみましたが正直、千龝楽まで、うまくいった、という手応えを得られなかったことが、今でも後悔です。

あれから6年、随分と機材も防水も進歩しました。いつか機会があれば、あの大滝に再挑戦したいと思っています。