私達は毎日、己の公演に対する音の演出の具現化に精進を重ねます。しかし、現実というジャングルは想像もしない落とし穴が口を開けて待っているものです。これは、現場にいらっしゃる方なら皆さん痛感なさっていることでしょう。特にこちらが計算できないのは、ノイズ、そして何より「お客さん」です。

 ある本番中。音や音楽が大きい場面では気づかなかったのですが、静かな場面で、小さく、かすかに、どこかで「ジジジジ」とも「ガガガガ」ともつかない音がしています。金魚鉢の音響室なので場所の方向は分かりません。本番中のノイズで多いのは、スタッフならインカムのハウリング、お客さんなら腕時計のアラームの「ピピピピ」という音か、補聴器のハウリングの音です。そのあたりなら音で分かりますから、対応も素早く出来るのですが、今日のは聞いたことがありません。

 1幕が終わったところで客席場内に出てみると、1階の方で案内嬢にお客様が怒鳴りつけている声がします。すわっ、と我々は飛んでいきました。

 50代の御婦人が物凄い剣幕で怒っています。場内がみんな注目し、案内嬢はオロオロしています。

「何なのよこの変な音は!お芝居が台無しよ!せっかく特等席買ったのに!弁償してよ!」

 すがるような目の案内嬢を目配せで安心させ、我々は「サーチ」に入ります。音の出ている場所を探りあてるのです。これは3分以内に見つけられないと失敗だと先輩に教えられています。

 やり方は、フクロウのように顔を横、斜めと、小刻みに揺らすのです。フクロウが暗やみで獲物を音で見つけるのと同じ原理で、こうすると音源に対して耳の水平、垂直方向が細かく変化し、音源の位置を絞り込む事が出来ます。

 しかし変です。音源はどうも下です。そんなところに音が出る設備も空調もありません。あるのは…

 その御婦人の鞄だけ。「ちょっと失礼、中をご確認下さい。」

 中からは見たこともないような大きな目覚まし時計が、ジリリリリ!とけたたましく鳴りながら登場。

 休憩中の満場は大爆笑。御婦人は真っ赤な顔。

我々と案内嬢は、

「私共の不始末でなくて安心いたしました」と言うのが精一杯。それでもその御婦人は、なおも我々に

「なんでこんなものが鳴るのよ!」

と一層凄い剣幕で怒鳴りつけてきました。

 あのな、オバハン、こっちがききたいわ。

 ある時代劇の3幕、クライマックスの大立ち廻り。

荒れ狂う吹雪の中、主人公の七之助は、たった一人で大勢の敵と斬り合い、深手を負います。

 舞台に一人残って倒れる七之助の許に女房が駆け付けます。いつしか風は止み、一面に降りしきる雪の中、女房の腕の中で、七之助の最期の時が近づいてきます。

 静かな、泣けてくる音楽をバックに女房が、

「あんた死なないで、あたいを置いて逝かないで!」と泣きすがる、お客様の涙を絞るシーンです。

 が、この劇場、舞台の裏に搬入口があり、そとには高速道路の高架と大通りがあるのです。

 息絶え絶えの七之助を女房が抱き上げ、

「あんた、しっかり、しっかりしてえ!」

と叫んだ途端、外からかすかに

〜ピーポーピーポーピーポーピーポー〜

と救急車の音。

 笑いをこらえる舞台袖のスタッフ。インカムで舞台監督が「やっべえ〜!」と言っています。場内のお客さんも笑うに笑えず、妙なテンションの高さです。

 マイク卓でオペをしていた私の横で、効果卓にいた先輩が、音楽を盛り上げながら一言、

「頑張れ七之助、もうすぐ救急車が到着するぞ」

 レニングラード国立バレエ団は、毎年年末年始に来日公演を行います。名物はクリスマスにぴったりの作品「くるみ割り人形」と、コール・ド・バレエの素晴らしさの極致「白鳥の湖」です。

 ソリストの何人かと友人なので、毎年呼ばれて観に行き、終演後、食事に行ったりして旧交を暖めます。

 「白鳥の湖」を観るならこのレニングラードバレエでなければ意味がないと言われるくらいなので、客席は満員です。当然、バレエを習っている少女や、これから娘に習わせようと、年端もいかない幼児を連れた母親も大勢います。

 白鳥達の群舞では、子供達が「白鳥!」「アヒル!」と口々に叫びます。イヤな予感はしていたのですが案の定、ロットバルトと黒鳥の登場で、一人の幼児が叫びました。

「カラス!」

 ロシア人に日本語は判りませんが場内の爆笑は気に障ります。ムッとしながら踊り続けましたが、終演後のレストランで、私と妻がどれだけ苦労したか。

 子供は時限爆弾付きのノイズの塊なのです。