ある舞台俳優さんから、こんな話を伺いました。

 録音スタジオに呼ばれて、市販用完パケ作品に声のキャストとして出演したのだそうです。

「とにかくさあ、もうゴメンだね。呼ばれても二度と行かない。ウンザリだよ。」

 一体何があったのでしょう。今回は彼の話を聞いてみたいと思います。

 スタジオっていう所は僕、初めてでね。緊張したなあ。舞台とは全然違うよね。広さも13〜15畳位だし、お客さんがいるわけじゃなくスタッフだけなのに、何だろう、あの息苦しいような、圧迫されるような雰囲気は。どことなく、小声で話さなきゃいけないような空気で、気持が高揚してこない。キツイね、あれ。

 台本を渡されてね、役を振られて、「読んでくれ」って言うのよ。読むんだったら別に僕じゃなくてもいいよね誰だって。その役を演じてくれ、芝居してくれという事で呼ばれたと思ってるからさ。ま、これは言葉のあやかもしれないし、この程度のことをいろいろ言うと、みみっちいと思われるかも知れないけどさ。

 マイクの前での演技?面白かったよ。うん、それはちっともイヤじゃない。昔、養成所のレッスンでもやったからね。台本をめくる時のペラノイズ、唇や舌が出すリップノイズ、ちゃんと気を使ったよ。でないと、「これだから舞台の人間はスタジオで使えない」って言われちゃうからね。服や靴だって、音のしない物を着ていったしね。でも出来れば事前に台本欲しかったなあ。そうすれば台詞覚えて行って、台本なしでやれたのに。

 みんなマイクの前に立った時、マイクを何に見立てているんだろう。会話の相手?自分自身と対峙する?

リスナーかな?一度聞いてみたいな。僕はやっぱりマイクの向こうに客席を見てるね。

 そうそう聞いてくれよ、それで一応通して稽古した訳よ。で、演出家(ディレクター)がダメ出しするでしょ。ダメ出しの時、僕らのいるブースに入って来ないんだよ!サブから「少々お待ち下さい」ってマイクを通して言って、延々向こうで何やら話してる。こっちは待てと言うから演技が終了したテンション引きずったまま宙ぶらりんの気分でね。「有難う」とか「お疲れ様、ちょっと待っててね」の一言があれば、こちらも一息つけるのにね。

 稽古中も、シリアスなシーンをやっているのに、向こうで何があったのか、みんなで笑っているんだ。すごく気になるよ。こっちが何か変なことしたんじゃないかとね。そうではないと分かればそれはそれで、こっちの演技なんか気にならないのかと、なんかやる気が失せるよね。

 ダメ出しが始まっても、全部トークバック・マイクを通して話すんだよ。なあ、ブースとサブってそんなに遠いかい?

 芝居の稽古じゃマイクを通して演出家がしゃべるのは段取りの説明だけよ。ブロードウエイじゃ役者に演出つける時は舞台から客席に一人一人呼んで話をするんだよ。あなた演技をする人、私は演出する人、役割が違うだけで人間対人間、対等だという意識なんだよ向こうは。日本の演出家も演出に熱がこもってくると、マイクがもどかしくって役者の隣へ行って話を始めるでしょ。マイクを通した演出って、演出する側の熱が伝わって来ないのよ。

 それに何より人間が、人間と、人間に聞かせる作品作ろうっていうんでしょ。作る側の人間同志がそんな希薄な触れ合い方でいいの?

 ブースとサブがそんなに遠けりゃこっちから出向いていくさ。だから向かい合って、直に、生の人間同志で話がしたかったよ。

 作る側からすれば、声は他の音楽や効果音と同様、単なる素材の一つにすぎないだろうさ。でも僕達はマイクの付属物でもなければCDでもテープレコーダでもないんだ。我々出演者を、音(声)素材としてでなく、段取りや寸法ばかり気にせず、人間対人間として、共に作っていくというように考えてもらえないかな。

 舞台では「芝居は総合芸術」という言葉がある。

 同じじゃないのかなあ。

 皆様、どのように思われたでしょうか。

 彼のようなケースは、かなりひどい例で、ここまでのようなことは普通はないかもしれません。

 また逆に、鼻持ちならない出演者が来てしまって、スタッフ一同はらわた煮えくり返るような思いで仕事をしたという話も一方で聞きます。

 ただ確かに、予算、段取り、寸法、レベルなど考慮しなければならないものが沢山ありますが、そのテイクでの役者のイキ(粋、息、活き)の良さを大事にするディレクター、そしてそのイキを飲み込んでフェーダー操作をしてくれるミクサー、そういう人が増えてくれれば、現在販売されている音の完パケ作品は、見違える程面白いものになることもまた確かなことなのです。

 彼が言うように私達は、人間が、人間と、人間に聴いてもらう作品を作っているのですから。