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 ヒグラシ笛を使って、若手を教える機会がありました。

脚本家・演出家のふじたあさや先生の名作「べっかんこ鬼」の、舞台公演の準備でのことです。

この作品の素晴らしさについては、別途機会を作ってお話しいたしましょう。ふじた先生の作品は、この「べっかんこ鬼」にしても「ねこはしる」にしても、心震えるものばかりです。
ともあれ今回はヒグラシ笛の話です。「べっかんこ鬼」のような、和風の舞台、それも重いテーマを寓話性に富んだ作風で包んだ舞台公演には、効果音も擬音道具を使って生で音を演ずる方が、よっぽど作品にしっくり合います。リアルな効果音よりも擬音の方が今回の舞台公演ではリアルに感じるのです。これが舞台の不思議、舞台の魔法です。

ヒグラシの鳴き声も、今回の舞台公演では、リアルなヒグラシの音素材をスピーカから出すと、スピーカ臭い、嘘くさい、作品世界と全然交わらない、ひどい結果になります。それをまず、若手に実際に聴かせて体感させました。
リアルな音の方がいい、と考えていた若手は、「リアルとはいったいなんなのか」という壁にぶち当たります。

リアルな音が嘘くさく聴こえ、リアルではない擬音の音がそれらしく聴こえる。しかも、スピーカから音を出すと薄っぺらく聴こえ、生で擬音道具を使うと不思議に作品世界に溶け込む。今までの自分たちの常識が覆される混乱をまずは、存分に味わってもらいます。こういう経験は、なるべく若いうちに、早いうちにさせておいてやりたい、そう思っています。

さてその次には、ヒグラシ笛の練習です。擬音道具は習熟が必要です。簡単にできるようになる笛や道具もあれば、長い習熟期間が必要なものもあります。
ヒグラシ笛は、簡単に音は出せます。しかし、上手くなるには長い年月がかかります。それを考えると、スタートする年齢は若い方がいいと思っています。
私もヒグラシ笛を初めて口にくわえて以来四半世紀、いまだに我ながら「下手だなぁ」と思うくらいです。師匠の吹くヒグラシ笛を聴くと、ホレボレすると同時に自信喪失します。
しかしこれを若手に経験してもらうことで、音響の仕事の一つに、音を演じる、という部分、プレイヤーとしての要素を求められる仕事があるのだ、ということを端的に体感してもらえると思います。

若手がそれぞれヒグラシ笛を持ち、とまどっている様子に「さあ、まずヒグラシが鳴いているところを思い出してご覧。その情景を記憶の中から引っぱり出してイメージするんだよ。その、頭の中のイメージの音に、自分が吹いている笛の音を近づけていくようにするんだ。」 こういうと、返ってきた返事が、

「…ヒグラシって、どうやって鳴くんですか?」

「ヒグラシの鳴いてるところ、聴いたことないんですけど…。」

ピーッ。試合終了の笛が頭の中で鳴りました。
聴いたことのない鳥や虫の鳴き声を擬音で演じるのは無理な話です。彼らの中にはヒグラシという生き物がいないのですからヒグラシ笛なんかできる訳がありません。

ヒグラシが鳴いていないのではありません。彼らが聴いていないということはないのです。でも、彼らの中に、音の記憶として残っていないのです。
今だって、繁華街のど真ん中でもヒグラシは鳴いています。首都圏の巨大な駅前で、家電量販店や携帯電話会社の広告の大音量に負けずに、ミンミンゼミもアブラゼミもヒグラシも、街路樹にとまってちゃんと鳴いています。
でも、彼らの耳には残らないのです。
聴いた音を「聴いた」と記憶しない感覚。記憶を顧みるという行為を知らない、これは究極の受動。

音が氾濫していて、一度に沢山の音が耳に飛び込んで来て、それらの音のうち最もインパクトが大きかった音がその場の音として記憶に残される、という風潮が見て取れます。

それは音の数ではなく音量の大小の問題でもなく、「能動的にならない」という、意識の有り様にこそ問題があると感じます。
これは、音の聴き方受け止め方の問題にとどまらないことでしょう。社会問題として「自分でなんとかしようとしない」「言われなければ行動しないし言われたことしかしない」「人のせいにする」「失敗を恐れてトライしない」「自分で選択したくない、誰かに決めて欲しい」こんな人間が増えてしまった、まるで子供の群れのような受け身社会、これが先に述べた音の聴き方に影響を与えていると感じるのです。

このエッセイの、1997年6月号には、季節感の喪失から、効果音が成立しづらくなった、という話を書きました。あれから13年、世の中はなんだかそれどころじゃない、いったいどうなってしまうんだという状況になってきています。

ヒグラシは今日も鳴いています。ハチ公前交差点横の街路樹につかまって。これから先、私は、蝉が鳴いていたら、なるべくその姿を見るようにしようと思います。

ちゃんと聴いているよ。聴いてる人がいるよ。

(石丸耕一 音響演出家 www.lunadfuego.com)


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