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 数年前に、高校生向けの進路ガイドの本に掲載される機会がありました。

全国の高校の、進路相談室に揃えられている職業別に分かれた単行本シリーズで、私は「音響技術者になるには」という本に出ました。
その数年後、私が講師を勤める専門学校のひとつに、「あの本を読んで『この人に習いたい』と思って、この学校に入学したんです」と言って私を訪ねて来た学生がいました。
そこからさらに数年後。現在その学生は、舞台音響の世界で、オペレータとしてのキャリアを着実に積んでいます。
その姿は私にとって本当に嬉しいもので、一冊の本がもたらしてくれた出会いに、心から感謝の気持ちでいっぱいです。

大学や専門学校での講師も、早いもので16年続けています。
講師を始めるとき、師匠から「思うように成果が上がらなくても落胆しないで長く続けるんだよ。10年講師をやっても、モノになるのは一人か二人だと思ってた方が気が楽だよ。」
とのお言葉をもらい、毎年、新年度になる度に「今年はどうかな?」と思いながら学生に会います。
そうやって16年の間に出会って来た学生の中から、これはと思う教え子を現場で修行させ、「教え子」から「弟子」となったのは、現在のところわずか8人。
でも、師匠のお言葉を思い返せば、16年で8人というのは、出来過ぎなのでしょう。

大半が舞台音響の世界で活躍していますが、中には照明になったり舞台監督になったり、レコーディングミキサーとなって渡米し、グラミーにノミネートされた子もいます。
「弟子」と名乗るのを許すのは、技術やスタイルではなく、私の創造に対するアプローチの仕方や仕事への姿勢を理解し体現していて、それを守り続ける意思があるかどうかです。
それがあれば、たとえ音響ではなく照明や舞台監督に従事していても、私の弟子だと名乗りたいという者には許すことにしています。

ありがたいことに、脱落したものは一人もいません。初めての弟子が今でも弟子でいてくれています。
弟子を持つ、というのも一つの覚悟です。
弟子が師匠を見限ることだってあるのです。
弟子を持つということは、一生ブレない、ということを自分に課す、ということでもあります。
時々、いつも弟子がいらっしゃるが、若い人しかいない、弟子が長く居着かない、という人がいます。そういう人は、弟子がその人と長く付き合っているうちに、その人のどうしても看過出来ない人間としての欠点に嫌気がさして、離れていっているのです。

最近、専門学校や大学で、「クリエイターになりたいんです」という学生が増えています。
その度諭すのは、「クリエイターという職業はありませんよ」ということです。
どんな仕事だって、営業だって総務だって技術だって、クリエイティブに仕事をすることは出来ます。
その時その人は、その仕事でのクリエイターなんですよ、と教えています。
例えば音響の世界でも、音響さんと名乗る人達の中には、ちっともクリエイティブじゃない仕事ぶりの、到底クリエイターとは呼べない人がたくさんいます。
クリエイターとは職業ではなく、仕事への姿勢から回りがそう呼ぶのだということを、進路選択の岐路に立つ学生達に、きちんと教えておきたいと思います。
その姿勢とは、いかに自分の仕事で人を幸せにしたいと苦心するか、ということだと思います。

渋沢栄一という明治の経済人のエピソードが私は大好きです。
「およそ経済人は国士たれ」と言っていた彼は、月給取りと呼ばれる今のサラリーマンが登場して来た時代に、人々が仕事の後で飲んで明日への鋭気を養える、安くておいしくて価格と生産が安定しているお酒はないものかと考え、ドイツのビールに目を付けて、大日本麦酒という会社を立ち上げました。
ご存知のように大ヒットし、ビールは日本の国民酒とまでになります。
普通ならここで大もうけ、という話ですが、渋沢栄一氏はここで、会社を3分割して手放します。

それが今のキリン、アサヒ、サッポロの3つのビール会社なのだそうです。
そして、互いに競い合い、よりおいしく、より安く、ビールを造って人々の幸せに貢献するようにと言ったそうです。

私の父が、この渋沢栄一氏を尊敬していて、私によくこの話をしてくれました。父から譲られた渋沢栄一伝という本が、今でも私の蔵書にあります。
この、ビール会社設立と、その後の、3分割して手放す、というエピソードはまさに、経済人としてのクリエイティブな仕事、と言えることだと、私は学生に話して聞かせます。

自分の選んだ仕事で少しでも人の幸せに役立ちたいという姿勢が、クリエイターと呼ばれるのだと、私は自分にも言い聞かせながら教壇に立ちます。


(石丸耕一 音響演出家 www.lunadfuego.com)


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