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  とある著名な老女優、残念ながらずいぶん前に亡くなられましたが、今から22年も昔、ある舞台公演の稽古場で、若い俳優にこんな話をしていたのを憶えています。

「効果音はね、姿の見えない共演者なの。犬の吠え声がね、スピーカから出ていたとするでしょ。それはね、犬の効果音がスピーカから出ていると思って聴いちゃダメよ。犬という共演者が貴方に向かって、ワンという台詞を言ってるの。そうやってね、効果音という共演者を受け止めて、自分の芝居を膨らませなさい。効果音を味方に付けるの。そうするとね、自分の芝居が自分一人で演じている時よりずっと大きくなるわよ。」

稽古場の、音響席のすぐそばでこんな話をしているのです。当時の私は若干24才。オープンテープレコーダとミキサーに囲まれて、台本の書き込みの整理をしながら、耳はダンボのようになって、固唾を飲みながら、件の老女優の話に聞き耳を立てていました。
というか、私の勝手な思い上がりですが、私に向かって言って聞かせているように思えたのです。
だってそんな処で話しているんですから。

私には、その老女優が若い俳優に向かって話しながら同時に、私に向かって、
「あなたもね、そのつもりで心して、効果音を作って、本番の時には心して効果音を舞台に解き放ちなさい。スピーカから効果音という音を出すのではないんですよ。貴方が効果音に演じさせるんです。効果音を通じて貴方が、演じるんです。」
そう言われている、と、はっきりと確信しました。

この日この時から、私の舞台公演でのオペレートのスタンスはハッキリと定まったと感じます。
よく、効果音再生のことを、「ポン出し」という言葉で表すことがありますが、私はポン出しなんか一度もした事がありません。
ポンと出して済む効果音なんか無いからです。
音に芝居をさせる、音を通じて自分が芝居をする、それが舞台公演でのオペレータの役目であり、そういう意味ではプレイヤーであり演者でなければつとまりません。
このスタンスからいけば、公演で使用する効果音も、人の作った借り物の効果音をコピーして使っていては到底つとまらない、ということもご理解いただけるでしょう。

表現する、という行為は、突き詰めて行くと結局、自分自身をさらけだすことに他ならないからです。
あの日から約20数年、もうじき四半世紀になろうとしていますが、ついこの間、頼まれて手掛けた芝居の舞台稽古の時のこと。
夜明け前の神社で、悪人どうしの密談を聞いてしまった魚屋。明け七つの鐘がゴーンと鳴ると、

「もう七つか?魚河岸行かなきゃ。」

という台詞を言って、退場します。
この魚屋の俳優が、よくここでトチるのです。
舞台稽古でもトチりました。
さすがの私も駄目出しに行きました。
しかしえてして、そういうタイプの俳優はとかく、いろいろと言い訳します。
もうその時点で、「自分が分かっていない」という事を分かっていないのです。

「お前さ、スピーカから鐘の音が出てると思ってるだろ。そうじゃないんだぜ。明け七つの鐘というお前の共演者が、お前に向かってゴーンという台詞を言ってるんだよ。共演者の俳優がお前に向かって台詞言って、お前がシカトしたらその俳優怒るだろ。それと同じなんだよ。
それにさ。お前の役は何だった?魚屋だろ?魚屋は朝が早いだろ?目覚まし時計の無い時代の魚屋は、夜明け前の鐘の音に敏感に反応するだろ。
お前が魚屋としてちゃんと舞台に立ってたら、たとえ「もう七つか?」という台詞を忘れたとしても、役の性根が、「お?今何どきだ?」とソワソワしてみせるんだよ。
台詞ではない、役の性根から出た「言葉」が、お前の身体から出てくるんだよ。
お前にはそれもないだろ。
それじゃお前は舞台の上で、誰でもないじゃん。
役の性根で、作品の世界の音を聴けよ。
そうすればさ、役の性根が、お前に言葉を自然に言わせるからさ。」
気がつけば私もいつのまにか、あの老女優と同じ事を、若い俳優に向かって言っていました。
私もそれだけ、年を取ったということでしょうか。

この台詞は、自分自身にも向けられています。
効果音を、出演している役柄と捉え、それがどんな声(音)であるかを模索して、その声(音)を生み出す、つまり効果音を作る、ということ。
そして次にその声(音)が、どこからどのように聴こえるか、作品世界の空間をイメージして聴こえ方を作る、ということ。

つまり、舞台公演における音響の肝になるところは、俳優と同じく、音の「役の性根」を、しっかりと据える、ということだろうと思うのです。


(石丸耕一 音響演出家 www.lunadfuego.com)


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