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 大人には、大人の楽しみ、というのがあります。
人生経験を経てくると、若い頃には「つまらない」と思っていたものがじつは、良さを理解できなかっただけなのだということが見えてきます。時間が経たないと分からないものが世の中にはある、と分かってくるのです。

 作家であり劇作家、演出家でもあられた池波正太郎さんのエッセイに、こんな一節があるので引用させて頂きます。

「老・中年層は、自分自身に、みな[ドラマ]を持っているから、同じパターンのくり返しと、どぎつい流血のシーンだけでは、もう、ばからしくなってきてしまう。すべてがそうなのではないが、娯楽映画といえば、むかしの子供たちなら見向きもしないようなものをあくせくとつくりつづけ、芸術映画といえば、世間知らずの監督が自分を主張するのみの青臭さなのだから、大人は、スクリーンからはなれてしまったのだ。」

 簡潔にして戦慄を覚えるほどの鋭い切れ味の一節です。
子供の頃や若い頃は、奇想天外なシチュエーション設定や奇抜なストーリー展開、派手なアクションやキャラクター設定を面白がります。これは、自分の中に経験のストックが少ないため、知的好奇心を刺激されてのことだと言われています。やがて年齢を経て大人になり、経験を重ねていくと、そういう作品が面白くなくなってきます。それは、自分の重ねて来た経験を超える作品でなければ、もう満足することも楽しむことも出来なくなってくるからです。

 経験の中には、こんな本を読んだ、こんな映画を観た、こんな舞台を観た、こんな音楽を聴いた、という、エンターテイメントの作品に触れた経験も含まれます。その経験の蓄積によって、「似たようなものを昔見た頃がある」「焼き直しだ」「これパクリなんじゃないか?」「若い頃聴いた曲にそっくり」となる訳です。一方、大人は自分の人生経験から、奇想天外なストーリーやアクションではなく、人間ドラマなど、共感できたり感情移入できたりするものに興味の対象が移っていきます。

 オペラや歌舞伎、能は正にその典型です。
オペラの中で繰り広げられる愛憎に、人は自分がかつて経てきた経験を投影して涙します。決して平坦ではなかった恋、報われなかった愛、家族にも話せない愛憎に苦しんだ後ろめたさ。自分のそんな経験が、舞台の上で美しいメロディーにのせて、まるで代弁してくれるように歌手が歌ってくれる。だからこそオペラは昔の作品も普遍性を持って、時代を超えて愛されるのです。

 能は、死者が甦って語りかけてくる作品が多くあります。能楽に長く携わっていらっしゃる音響の大先輩の方から、能は、自分が親や大切な人と死別する年齢になってから観ると、その作品の意味や良さ、味わいが分かるようになる、というお話を伺ったことがあります。正にこれは、そういう年齢にならなければ分からない大人の味、「子供にゃ分からんさ」という世界です。
ですから、子供にオペラや歌舞伎や能を無理やり観せなくてもいいんです。食わず嫌いになってしまうだけですから。しかるべき年齢になってから観れば、すんなり入っていけます。

 残念に思うのは、若い人や子供など経験の浅い世代向けのエンターテイメントや歌に比べて大人のエンターテイメントや歌が少なく、バランスが悪いと感じることです。
バブルの頃から特に、学生や若い世代のほうが大人の世代に比べて自由になるお金が多いというリサーチ結果に基づいて、世の中全体が若い世代へベクトルを向けてきました。

 音楽、ファッション、エンターテイメント、飲食料や飲食店、テレビ番組、雑誌、果ては街の再開発まで若い人受けすることが必要とされてしまいました。それは初めは、若い世代の喜びそうな指向にすることで売り上げを伸ばす目的だったのが、次第に若い世代への迎合になってしまいました。ミイラ取りがミイラになってしまった訳です。

 欧米に目を転じると、若い世代向け、大人向け共に、均等に扱われています。それを若い世代も理解しています。若い世代に味わっても味わいが分からないものが世の中にはある、ということを、きちんと分かっているのです。

 ここが日本と欧米の最も大きな差であり、日本の若い世代の、年長に対する敬意の欠如、謙虚さの喪失につながっていると感じるのです。が、時代は変わりました。あれだけあてにしていた若い世代や学生たちの財布は、携帯などの通信費で殆どスッカラカンです。加えて高齢化社会になり、団塊の世代が第二の人生を如何に有意義に楽しむかという、遅ればせの「自分探し」を始めています。

 大人の皆さん、粋にダンディにハードボイルドに、余裕かまして「こいつの良さは今のお前にゃ分からんさ。人生はもっと複雑で味わい深いんだ。」
と笑ってみせるカッコ良さを楽しみましょう。


(石丸耕一 音響演出家 www.lunadfuego.com)


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