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 もう四半世紀も前になりますが、まだラジオドラマが放送される機会が多かった頃、私は師匠にこんなことを言われました。

「お前はな、必要以上に機材を知ろうとするな。技術を覚えすぎるな。知ってしまうと無意識のうちに、具現化可能な技術の範囲内でしか演出のイマジネーションが広がらなくなる。
演出のイマジネーションは無限のものだ。思いついた演出が、現代の技術で具現化可能かどうかは後でエンジニアと相談すればいいことだ。不可能だとなった時、そこに技術の進歩のキッカケが生まれるんだ。」

 この教えは現在、サウンドドラマの制作においても常に私の心にあります。2トラックステレオからサラウンドに規格が変わってくると、より一層、この教えが真理であり普遍のものであるということを、制作の現場で思い知らされて、心の中で師匠に感謝しています。

 現在の5+1サラウンドというのは、イマジネーションを広げるにはあまりに狭い鳥カゴのようなものです。なんと言っても音の上下移動ができません。劇場のような上下左右におびただしい数のスピーカに囲まれたマルチチャンネルから見ると、不自由極まりないものです。

 例えば鳥や飛行機や宇宙船を、目線の高さから天空へ向けて高く飛ばすには、5+1サラウンドの枠の中では結局のところ、定位や移動をさせる過程で、音質の操作と位相の操作を自分のイメージに合うところまで何度もカットアンドトライするしかなく、この点において既存のサラウンドプロセッサは全く無力です。これがそのうち、下の5+1と上の5+1で合わせて10+2になったりするのでしょう。それもじきに足りないと感じるようになって、もっと数が増えて行くのでしょう。
それは結局、サラウンドが劇場のようなマルチチャンネルになっていく、つまり私のメインフィールドである劇場に近づいてくる訳で、これではサラウンドの持つ特長の一つとしての、「少ないスピーカの数で様々な空間表現が可能」というメリットが消えてしまいます。

 先に述べた師匠は、こんなことを言っていました。
「音楽堂があるのだから、音響堂というものを作ってみたいね。中はトンボの眼の内側のように、半球の形をしていて、トンボの複眼のように無数のスピーカがついているんだ。これだったら、どんな音響演出も可能だろうし、そこで色々な音響作品を常時上演していたいね。」
いかがですか皆さん。これが45年以上も昔に既にアイディアとして考案されていた未来の空間音響装置です。サラウンドのサの字もなかった頃です。
まるで預言者のように未来を言い当てています。

 この師匠の教えを守り、スタジオに入った時の私はワガママの言いたい放題です。技術や機材を全く考慮に入れず、自由気ままに無限にイメージを膨らませています。スタジオにはスケッチブックを持ち込み、定位や移動のイメージの絵を描いてエンジニアに理解してもらいますが、

「石丸さん無理です。それはできません。」

「えー何で?こうしたいんだけど。」

「ですからね、サラウンドの現在の規格では無理なんですよ、どうやったって。」

「やだ。だってここでこう響いてこう移動しなきゃテーマが浮き彫りにならないでしょ。やりたい。」

「(ウンザリして)どうしてこの人はこうかなぁいっつもいっつも。分かりましたよ、ちょっと時間下さい。うるさいからあっちで休んでて。」

こうして書いてみると、自分がいかにひどいかが良く分かり、エンジニアさんにはご苦労をかけているなぁと痛感いたします。が、反省はしません。これからもこの調子でやっていこうと思います。
この作業の中から、多くの新しい手法や可能性が生まれてきたからです。

 もうお一人、私の脚本の先生は、まだモノラルの時代に、NHKラジオ第1と第2の両方の電波を使って、第1をLチャンネル、第2をRチャンネルにしてステレオ放送でラジオドラマを作っておられました。これはまさに、既存の技術の枠に縛られることなく、すべてはただお客様に楽しんでもらう為だけに、イマジネーションを広げた結果、演出のイマジネーションが技術の垣根を軽々と飛び越えた、そんな感動を私は覚えるのです。

 私もそうやって、いつも演出のイマジネーションを無限に広げ、軽々と技術の垣根を飛び越えていたいと思います。
そして、自分のイマジネーションが具現化できる技術は、自分が生きている間には完成しないだろう、そう言い放てる想像力、発想力、イマジネーションに磨きをかけ続けて行きたいと思っています。
ですから私は、音響技術者ではなく、音響演出家、なのです。


(石丸耕一 音響演出家 www.lunadfuego.com)


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