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 「文七元結」という芝居を頼まれ、今日、千穐楽を迎えたところです。

 伝説の名人と謳われる三遊亭円朝の作となるこの作品は、元は落語だったのが芝居に転じたものです。私にとっては、長年の落語のPAの仕事でいろんな師匠の語る「文七元結」を、かれこれ4回程聞かせて頂き、また芝居としてこの作品を手掛けるのも、これが2回目です。

 昭和30年に先代の中村勘三郎丈がなさった「文七元結」を参考にしてやりたい、という主催者の意向を受けて、芝居も美術も衣装小道具照明も歌舞伎の世話物仕立て、そして音響効果も歌舞伎の下座鳴り物でプランを立てましたが、実際に生で囃し方さん鳴り物さんがいらっしゃる訳ではないので、全部完パケを用意して、逐一叩き出してやることになりました。

 この場合、大変なのは音素材を揃える事ではありません。もちろん、歌舞伎に縁のない音響さんがこの音素材を揃えろと言われたらちょっと大変でしょうが。

 気を使うべきところはもっと他にあるのです。

 本来が生で下座鳴り物をやるところを、完パケで出すのですから、出したその音が生の下座鳴り物の聞こえ方に近いようにスピーカバランスを作らなければなりません。これは稽古場でどうにかなるものではなく、上演される劇場へ行って劇場の響きと相談するしかありません。

 歌舞伎座や国立劇場、新橋演舞場などでの生の下座鳴り物は、客席でどのような聞こえ方、響き方をしているのか。定式幕が引かれている幕内で演奏されている時、演奏の途中で開いて行く時、開ききった時。それが緞帳の場合はどうなのか。

 幸い、かつて私は歌舞伎座、新橋演舞場に勤務していた経験があるので、これらの聞こえ方が身体に染み付いて身体が覚えているということが、私にとっては何よりの強みです。その記憶を頼りに、完パケ再生した下座鳴り物が、生っぽく聞こえるよう、調整していきます。

 このエッセイでも度々申し上げていることですが、劇場音響で大切なのは、「どのキッカケでどんな音を出すか」ではなく、「どのキッカケでどんな音をどこからどう聞かせるか」です。「出す」ことが大事なのではなく「聞かせ方」が大事なのです。

 同じ事は別のジャンルでの公演でも言える事です。

 バレエ公演で、予算の潤沢な公演ではオーケストラを雇います。しかしそうでない場合は、音楽を完パケで再生します。全国を見渡すと、むしろこのスタイルのバレエ公演の方が、オーケストラの生演奏のバレエ公演よりも多いのではないでしょうか。

 こういう公演の場合、バレエの先生が演出をなさいます。が、はっきり言って踊りの専門家ではありますがトータルでマクロの目で公演全体を見渡せる方は殆どいらっしゃいません。それはそれで当然のことであり仕方のない事です。踊る事に命をかけてきた方々です。演出や監修は全く別の命がけの修行が必要です。

 ですから音楽再生について、タイミングやテンポにもの凄くナーバスでいらっしゃいます。音楽を再生しながらリアルタイムでテンポを変えられる再生機器を用意しなければ勤まりません。

 がしかし、その音が客席でどう聞こえるのか、完パケ音楽を再生してそれが生のオーケストラピットから聞こえて来るようにするといった事に関しては、全く無頓着です。考えが及びもしない、と言ってもいい位です。ですからそれはこちらでしなければいけません。

 日本のオーケストラピットは狭くて深いところが多く、外国の場合は広くて浅いところが多いです。それぞれの聞こえ方の違いを、私は今まで、日本国内の多くの劇場・ホールの響き方、ヨーロッパの多くの劇場の響き方を聞いて覚える機会に恵まれました。それを頼りに再生バランスを工夫して、オーケストラの完パケをスピーカから再生して、オーケストラピットでの生演奏の聞こえ方に近づける努力をしています。

 しかし、往々にしてその努力は、バレエの先生や主催者には全く気がついてもらえません。それでもめげずに頑張っています。自己満足ではありません。お客様の中に、ひょっとしたらそういう事を分かっている方がいらっしゃったら、という、誠意のつもりです。

 事実、とあるバレエ公演で、休憩時間にお客様が音響のところへおいでになって、バレエ協会の名刺を出しながら、「今日のような音楽の聞こえ方は初めてです。まるで生演奏のようで感服しました。」と言われたことがあります。これだから気が抜けません。

 「文七元結」はそんなことはありませんでした。お客様のみならず、出演者やスタッフ達が舞台稽古で、「おぉーすごい、生っぽい」「わぁー、ほんとに御簾中に下座さんがいるみたい」と分かって下さって声を上げていらっしゃいました。苦労の甲斐があったというものです。

 日舞のおさらい会のような公演では、今でも完パケをただ垂れ流すような再生をして、お師匠さんにお追従してご祝儀をもらうのを生業としているような、「音響家」ではなく「音響の御用聞き」が生息しています。それに対し、私がやらなければならないことはハッキリしています。今回の公演のように、多くの方にそれが伝わり理解をして頂けると、また頑張ろう、と励みになります。

(石丸耕一 音響演出家 www.lunadfuego.com)


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