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 昨年発表したサラウンド音響作品のDVDが何かと評判が良いので、調子に乗って只今第2弾の制作にかかっているところです。

 友人の映画会社の音響さんと話をしていると、映画の世界と放送の世界では、音に対するスタンスは全然違うとのこと。当然、サラウンドについても、映画の世界でのサラウンドと放送の世界でのサラウンドは、同じサラウンドと言っても考え方やスタンス、アプローチが全然違うので、全く別物だ、とおっしゃいます。

 そして、私と話をしていると、映画の世界での音の捉え方、サラウンドへのアプローチは、舞台の世界の方が放送の世界よりもずっと映画の世界のそれと近いね、とおっしゃいます。

 映画と放送のそれぞれの世界の、サラウンドに対するアプローチの違いというのは、舞台の世界の人間である私にはまだよく理解しきれていないのですが、音に対するスタンスの違いというのは、何となく分かります。そして舞台の世界からみても、音に対するスタンスは、映画の世界の方が放送の世界よりも、私たち舞台の世界と近いな、ということを、舞台の側からも感じます。

 一番単純で端的なのは、放送は受け手のハードウェアを強制出来ない、という点です。勿論映画の場合も、映画館毎に大きさや音質が違いますが、映画館の音の調整を手掛けている友人の話を聞きますと、新作封切りの前夜は徹夜でチューニングをし、決められた調整の目安とフォーマットに乗っ取って、どこの映画館で観ても大差無いようにするようです。これにより、送り手の音のデザインはかなり忠実に映画館で再現することが出来ます。

 舞台はそもそも公演が行われる劇場ごとに調整をするのが前提の世界ですから映画の世界と同じですが、放送はそういう訳にはいきません。
自分が手掛けた番組を視聴者は、環境の良いリビングルームで観るのか、車の中で聞くのか、或いはラーメン屋さんのカウンターの上にテレビやラジオが置いてあるのか、全く分からないし、ましてや視聴者やリスナーに「この番組はこういうシステムで観ろ」「この作品はこういうシステムで聴け」という訳にはいきません。

 そうすると、どういうことになるでしょう。

 「静けさや 岩にしみ入る 蝉の声」

 という芭蕉の句があります。

 これを体現する音量で蝉の声を再生すると、放送の世界では放送事故になってしまいます。

 放送の世界での「静寂」の表現には限りがあり、それもかなり浅いところで限界が来てしまうというのが現実です。

 こればっかりは、どんなに技術が進もうとも、それが放送というものの本質である以上変えることができません。かつて某AMラジオ局でラジオドラマの脚本と演出からこの世界に入った私が、舞台に転向したのは、それが理由でした。

 舞台も映画も、音響の仕事の真理の一つとして、
「沈黙という音を創る」

 というのがあります。放送の世界では事故になってしまうことが舞台と映画の世界では幾つかある究極の目的の一つなのです。この差は決定的です。

 こういった舞台・映画・放送のそれぞれのジャンルでの音のスタンスの差は、具体的な細かいところで随所に顕われます。

 サラウンドの規格の違いについても、同じことが言えるでしょう。
 映画のサラウンドは、広く大きな客席を前提としています。それに対し放送の世界のサラウンドは中心の一点をリスニングポイントとしています。その輪を大きくしたところで、サラウンド効果を感じられるお客様の数が爆発的に増える訳ではありませんし、却って音のフォーカスがボケてしまって、演出意図が伝わりにくくなります。

 そういうところからも、舞台の世界でサラウンドを試す、或いは導入を検討するには、映画の世界のサラウンドの規格や方法論が、表現空間が似ているのでマッチするのではないか、と考えているところなのです。

 舞台の世界は本来、劇場の大きさや客席の形状に合わせて、客席の壁や天井に多くのスピーカを常設する、言わばマルチチャンネルの音像移動演出でした。
その中の幾つかのスピーカを、サラウンド用に併用して、マルチチャンネルによる音像定位・音像移動演出と、サラウンドによる空間演出をコラボレートできないかというのが、目下の私の実験のテーマなのです。

 その実験の過程での、サラウンドへのカット&トライと、曾ての自分のフィールドであった完パケの音響作品の制作活動の再開を兼ねたものが、冒頭でお話したサラウンド音響作品DVDです。

 ただ、いろんな方々にお話を伺うと、サラウンドの世界は今後、スピーカの数がどんどん増えて行く傾向だとのことです。だとするならば逆に、サラウンドの方が舞台の世界のマルチチャンネルに近づいて来るのかな、と、ふと思ったりもします。

 いずれにしても、音の世界の前人未到の分野。実際に試して、実際に音を出して、データを重ねなければ何も語れません。そしてそれはまるで探検のように、楽しくワクワクすることなのです。

(石丸耕一 音響演出家 www.lunadfuego.com)


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