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 効果音のお話を長らく続けて参りましたが、今回がその最終回です。

 このシリーズは、割と若い世代に向けて書かせていただいたもので、御年配の諸先輩方からすると「何を今更」という内容も多々あったと思いますが、今一番の問題は、下の世代、若い世代に、効果音を作るという姿勢、そしてその技法が伝承されていない、断絶の危機にあるという現状から、書かせていただいているものです。

 既に3月号のシリーズ一回目掲載後から、「効果音の作り方を教えて下さい」「どうやって作るのかが分かって面白かった」という声を若い方から頂いています。しかし、ちょっと待って下さい。

 一つの音の作り方は一種類ではないし、その作り方が未来永劫ずっと変えずに踏襲されなければいけないということも全くありません。

 大切なことは、「もっといい方法はないか」と先人が工夫をこらしてきた、その姿勢を受け継ぐ、ということです。

 江戸時代、舞台で鉄砲の音を表現するのに、初めのうちは縦に割った竹を打ち鳴らして、パシッパシッと音を出して、鉄砲の音としていました。

 随分経ってある人が、「もっといい方法はないか」と、竹の筒の片側に半紙を貼り、それを手に持ってもう片側を手でパンッ!と叩きます。すると従来よりずっと鉄砲の音らしく聞こえるようになりました。
その竹の筒を、舞台の奥に何人か、客席の後方に何人かが持ってスタンバイし、舞台の合戦の場面で、舞台と客席でパンパンと撃ち合いを表現してみせたのです。電気の無い時代にサラウンドをやっていた訳です。

 その演出は、リアルすぎるという理由で奉行所から差し止めをくらったという面白いオチがついていますが、この歴史的事実は多くのことを私達に示唆してくれています。

 まず、江戸時代のころから、「もっといい方法はないか」と試行錯誤が繰り返され、常に斬新な音響効果を求めていたということ。彼らに現在の電気音響システムを見せたら、どんなにか大喜びで斬新な効果音を思いつくことでしょう。恵まれた時代にいる私達が、発想することを停滞させては、彼らに会わす顔がありません。

 それから、立体音響というのは、電気の無い時代から、演出として既に行われていたということです。

 プロセッサがなければサラウンドはできない、電気がなければ音響の仕事が出来ないというのは彼らに対し失礼な話です。5+1なんていうのは技術的方便に過ぎません。効果が上がるのだったらどんな手を使ってでもやる。電気があろうとなかろうと。逆に、さして効果が上がらないのに、電気があるからサラウンドの技術があるからと言って無理やり立体音響を行うのは全く意味のないことだ、ということが自ずから分かってきます。

 この二つから浮かび上がってくるのは、効果音を考える、思いつく、実際に作る、という作業で必要なものは、ただ一つ、センスだということです。

 メイキング・センス。

 ここでこんな効果音を入れよう、そうすればきっとお客様が驚いてくれる、喜んでくれる、笑ってくれる、感動してくれる、と思いつく、センス。

 このマテリアルを、叩いたり、破いたり、擦ったり、振ったり切ったりしたら、こんな音に聞こえるんじゃないだろうか、と思いつく、センス。

 笛や太鼓、あるいは擬音道具を演奏し、音に芝居をさせる、音を通じて自分が芝居をする、演じるという、センス。

 センスがすべて。そのセンスを磨く。日々の生活の中で、街を歩くときも、色んな音に耳をそばだてて歩き、ふと目に留まった物を、叩いてみたり、蹴ってみたり、擦ってみたり振ってみたり。そしてその音を憶えておく。

 そうして記憶にため込んだ音の数々が、センスを磨いてくれます。

 3月号の掲載後から既にメールを下さっている方々、そしてこれから御連絡を下さろうとしている方々に申し上げたいのは、ただ一言、メイキング・センスということです。

 先人の効果音の作り方を学ぶのも、センスを磨く作業の一つです。敢えて不遜な言い方をすれば、ただそれだけのことでそれ以上のものではありません。具体的な作り方を踏襲するのではなく、先人の発想のセンスを学び、自分のセンスを磨く鉋として、更に新しいマテリアルと新しい技法で、新しい効果音の作り方を生み出していく。

 それが私達が先人に出来る恩返しなのであり、そこで初めて先人を越えることが出来るのであります。


(石丸耕一 音響演出家 www.lunadfuego.com)


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