otowa.gif

 私は今、オペラ公演「カルメン」の準備で大わらわになっています。

 今回の公演は日本語での上演ですが、このカルメン、本来はフランス語の作品です。

 オペラの作品は、イタリア語のものが多いことは確かですが、ドイツ語やロシア語のものもあり、この「カルメン」のようにフランス語のものもあります。

 私もオペラに携わるようになりまして15年、まだまだ不十分、一生勉強とは言いながら、振り返れば随分沢山のオペラを手掛けてきました。

 そしてまた、オペラ関係者の話の伝手で、いろんな方から公演の音響の依頼が来る訳ですが。

 ある時、イタリア語でのオペラの上演にこだわっている団体の代表の方から、公演を頼まれまして、まずはお会いして色々お話を、と、出かけて行きました。

 オペラをコンスタントに上演し続ける熱意を語られているうちは私も気持ち良く話を聞いていたのですが、私の相槌に気を良くしてか、その主催者、だんだん口がツルツルと滑り始めます。
「ベルカント唱法っていうのはね、イタリア語をいかに美しく響かせるか、っていう目的で生まれた唱法なの。なぜならイタリア語はこの世で一番美しい音の言語だからなのよ。神様の言語なの。ドイツ語みたいな汚らしい言語ではオペラなんか作れないわけ。メロディーに乗らないのよ。だからワーグナーなんか見てごらんなさい。ドイツ語なんかで無理やりオペラを作ろうとするから、あんな呪文みたいな歌しか出来ない訳よ。」

 うわぁ〜お。この世で自分が一番正しい、みたいなThe World is Mineなおばあちゃんが服着て歩いてお茶飲んでるぅ、私は早々にこの地雷原のような場所から退散しようとしましたが、逃がして貰えません。
「石丸さんならお分かりになりますでしょ。歌を歌うっていうのはね、イタリア語を愛して口にするっていうことなの。」

 あの〜、私の叔父は音大のバリトンの教授で専門はシューベルトなんですが、と喉まで出かかって、わざわざ自らいらぬ火種を付けることもあるまいと、早々に退散し、後日、多忙を理由に丁重に御辞退申し上げました。

 言語は、この連載でも度々申し上げているように、文化そのものです。言語は道具である前に文化なのです。地球上にこれだけ様々な言語が生まれたのは、その地の地理的要因、気象的要因との関連が切っても切り離せないのですが、それぞれの言語圏でその言語を使って歌を歌う、台詞を言う、それはその言語圏の豊かな文化の実りに他なりません。

 だからこそそれぞれの言語とその歌や台詞は等しく尊重されなければなりません。数年前のこのエッセイにて、各国の人達の、自国の言語の自慢と、自国の言語を誇るあまりの他言語のケナシ合戦は、微笑ましいものでありますが、イタリア語が母国語でない日本人が、イタリア語を褒めるあまりにドイツ語を貶すというのは、筋違いでいかがなものかと思います。

 だったらその前に貴方の母国語である日本語をどうにかしなさいよ、とドイツ人に言われてしまうでしょう。

 以前能楽師の方とお話をさせていただいた事がありますが、能楽の発声法はオペラのベルカント唱法と酷似しています。基本の口の形がオペラはオの口の形なのに対し能楽はイの口の形、という違いがありますが、それはやはり、能は面をつけて謡いをするので、ただでさえ声がこもるのを、明瞭度を上げるという目的があるのでしょうし、面の下では大きく口をアの形やオの口の形に開けられない、ということもあるでしょう。

 また、日本語という言語の明瞭度を全体に上げるには、口をイの形にするのが良い、という先人の知恵でもあると思うのです。

 また日本の芸能は、神事に密接に繋がって発祥発展してきた影響で、謡いは言葉が重要になっています。

 一方オペラも、モーツァルトの時代から今回の「カルメン」もそうですが、大体、同じ歌詞を2回繰り返し歌います。これは西洋音楽の初期、母体となった教会での合唱曲が、当時識字率が非常に低く聖書も読めない人々が大多数だったヨーロッパで、布教と教育のために、歌でもって、同じ文節を2回繰り返し歌うという構成の名残であろうと思われます。実は20世紀前半のトスカニーニの登場までオペラ劇場は社交場であり真剣に静聴する客などいなかった、という状況で、歌詞を2回繰り返すことで、ろくすっぽ舞台を見もせず無駄話ばかりする観客でも筋立てが分かるように、という配慮なのですが、この工夫のバックボーンには、先に述べた教会の布教目的の合唱の手法があることは明らかです。

 この連載の多くがそうであるように、今月のこの原稿も、「カルメン」の稽古場で休憩時間に書いています。次回は、今回の話を元に、原語で上演することと日本語に訳して上演することについて、お話をしてみたいと思います。

 それにしても、稽古場にパワーブック1台だけ持って来て、原稿も書ければ音出しも出来る便利で幸せな環境を、この10年程満喫しています。

 さあ、マエストロが戻ってきました。では来月。


(石丸耕一 音響演出家 www.lunadfuego.com)


backnext
OTOWAYA home