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 劇場において最も基本的な要素は、声の通りが良いということです。劇場はそのために生まれ、そのように進化してきました。

 ギリシャの屋外劇場に端を発し、ローマ帝国のコロシアムもそれを継承して、屋根が無い屋外形式の、舞台よりも客席の方が高い位置にあり、擂り鉢状の客席になっています。拡声器を例えに引き出すまでもなく、声の伝達を第一に追及した結果であります。

 ヨーロッパの劇場についてはしかし、一般の方々の興味はそこから一足飛びに、ルネッサンス時代さえも飛び越えて、絶対王制主義の時代のフランス、オーストリアまで時代が下がってきてしまいます。

 なるほど確かに、劇場というものはこのエッセイでも度々申し上げていますが、都市人口の増加と、市民の生活レベルの向上とに密接に繋がっています。

 動乱の続く時代に舞台表現は進歩しません。上演しても人が観に来ないからです。準備がままならないので上演も難しくなります。舞台表現というのは準備に膨大な時間とお金と人手を費やすからです。

 ローマ帝国の滅亡以降、ルネッサンスを迎えるまでの、いわゆる「暗黒の中世」には、劇場という建物は、それを必要とされるほど都市に人口もいなければ経済の発展も安定もありませんでした。

 音楽は吟遊詩人、演劇は旅芸人一座、つまりこの時代、芸能は「出前の時代」だった訳です。

 都市人口が増加し、都市の平和が持続し、経済が安定と発展を続け、舞台表現に対して大きなスポンサー、当時はパトロンと呼んで、絶対王制主義の王族や貴族、裕福な教会がこれを担った訳ですが、そうなってようやく劇場が必要とされる訳ですね。

 今回皆様に、大変めずらしい劇場を御案内いたします。ローマ帝国時代と絶対王政時代のあいだを繋ぐ、中世まっただ中に作られた、屋外劇場のような客席とプロセニアムの舞台を持つ、屋根のある劇場、テアトロ・オリンピコです。

 ヴェネツィアから電車に乗って小一時間。ヴィツェンツァという古い歴史の小さな街に着きます。

 この町全体が、古い中世の城塞都市の姿のまま現代を生きているのですが、その街のかつての中心街に、一際城塞のような外観の建物が見えてきます。

 これがテアトロ・オリンピコです。

 外からはこれが劇場とは思いもよりません。
 中世の、今でいう町単位が一つの小国だった時代の面影を彷彿とさせる建物が、いやその劇場だけではなく周辺の街並みも含めて、たった今タクシーやバスが通ったところを馬車や騎士が出てきそうな、そんな建物です。

 中に入ると、客席は正にギリシャやローマ時代の、擂り鉢状に舞台を見下ろす形をしています。しかし屋根がちゃんとあります。建築技術が進歩していく過程を見て取ることが出来ます。

 舞台はプロセニアム形式になっています。この、舞台がプロセニアム形式でありながら客席が舞台より高い擂り鉢状だという点が、古代から近代への劇場の進化の途中である、プロセスを目の当たりにするという意味で私は大変貴重な建築物だと思うのです。

 そして更に驚かされるのは、この劇場が未だ現役の劇場で、公演が行われ続けているという事です。

 これは、イタリアが辿ってきた歴史に負うところが大きいのでしょう。長く小国に分割されて、周辺のフランスやオーストリアに押さえつけられ、近代まで統一が叶わなかったのは国の歴史としては不遇ですが、そのため中世の国のスタイルが近代まで温存されたという側面もあります。その結果、イタリアは現在も、都市ごとにまるで違う国に訪れたような印象を受けますが、こういう建築物がイタリアの随所に残されたというのも、歴史の思わぬ副産物だと感じるのです。

 こうなると、声を張って芝居の台詞を響かせてみたくなります。幸い見学者は他に誰もおらず、劇場の人間も老人の警備員只一人という、全く無人の状態だったので、安心して心置きなく旅の恥をかき捨てることにしました。

 詠み上げたのはシェイクスピアの有名な台詞の何片かです。語る、叫ぶ、囁く、訴える、つぶやく。

 すばらしい。本当にすばらしく声はパンッと鳴り響いてはスッと溶けていく。囁き声が空間の隅々に満ちる心地よさ。張った声が瞬時に空間を鷲掴みにする高揚感。単に建築音響的に数値的に声の伝達が良いというだけでなく、それがとても心地よいのです。声を聴くことが快感だと感じる空間なのです。

 恐らく舞台人、劇場人、役者や歌手は、是非ここで公演をやりたいと、一度でもこの空間に身を置き、この空間での人の声を聴いたら、そう思わずにはいられないでしょう。

 関係者や御同業の諸兄には是非おいでになることをお勧めします。私にとっては一生忘れられない、実りの豊かなイクスカーションになりました。

 次回、ヴィツェンツァからヴェネツィアに戻って、ヴェネツィアの、街の中の音についてお話いたしましょう。


(石丸耕一 音響演出家 www.lunadfuego.com)


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