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 このエッセイに度々登場する私の義弟のフランス人と、飲みながら話していた時のことです。
「フランスの国旗はさ、赤白青で、自由・平等・博愛って意味を表してるっていうよね」
「うん、そうだよ」
「イタリアの国旗はフランスと色違いなんだよな。赤白緑。青の代わりに緑なんだけど、緑は何を表してるんだろ?イタリアは、自由・平等・あと何になるのかな?」

 義弟は酔っ払って座った眼で、眉一つ動かさず言下にこう言い切りました。
「自由・平等・バジリコ」


 その自由・平等・バジリコの国、イタリアに、ついに私にも訪れる機会がやってきました。

 思えば今まで、ジュリアス・シーザー、オセロ、ロミオとジュリエット、ベニスの商人等々、イタリアが舞台の作品を沢山、それぞれ何度も手掛けてきました。
それらの作品の中で私は、イタリアの風を吹かせ、イタリアの波を逆立て、イタリアの夜の街を様々な音と音楽で彩ってきたのです。それなのにこの私自身は、イタリアに行った事もなく、いつも想像で創っていました。

 舞台というのは想像の虚構の世界ですから、本物がいいという訳ではありませんし、むしろ作り物の嘘の方が本物より良かったりしますから、イタリアに行ったことがないから出来ませんということはないのですが、それでも何か、イマジネーションのよすがになるものはないかと、求めてしまうのです。

 今回の行き先はヴェネツィアです。

 ヴェネツィアといえば私にとってはオセロの舞台。

 昔、新橋演舞場で、北大路欣也さんのオセロ、遥くららさんのデズデモーナ、今度勘三郎を襲名なさる中村勘九郎さんのイアーゴーで、毎日夢中でオペをしていました。忘れられない舞台です。

 プランナーの先生が、芝居の冒頭、松村禎三さんの「舟歌」を使うことになさいました。まだ客席が明るくざわついているところから、まず客席ロビーに流し、その歌がだんだん客席の中へ移動していき、客電が落ちはじめると歌が大きくなっていき、それに伴って波の音が客席内に鳴り始めます。客電が真っ暗になった時に音楽と波の音は最高潮に達し、緞帳が上がり始めると、歌と波の音は舞台の奥の方へ移っていきます。

 まるで夜のヴェネツィアを、吟遊詩人が歌いながら通り過ぎていき、遠くへ去った吟遊詩人が向こうでまだ歌い続けている、その中でオセロが始まる、という、素晴らしい趣向でした。

 私がヴェネツィアの空港に着いたのは夜。そこからバスかタクシーで陸路ヴェネツィアに入るというルートもありますが、ここはこだわって、空港から船に乗り、海側から、サンマルコ広場の船着き場に上陸しようということにしました。

 頭のなかでは既に「舟歌」が鳴っています。私達の乗った船が運河を抜け、海に出て速度を上げ、舳先をサンマルコ広場に向けると、夜の、空と海の境も分からない闇の中に、サンマルコの灯が柔らかに美しく浮かび上がり、その灯に照らされて波がそこだけ金色に輝き、それでそこが海なのだと分かる、今まで見たことの無い幻のような都が見えてきました。

 海から見た景色が、陸地も海岸も見えず、都だけがいきなり海の上にポッカリ浮かんでいるという光景は、世界広しと言えどここヴェネツィアだけのものでしょう。
 積年の憧れを到着時にいきなり実現して、大満足のままサンマルコ広場に上陸すると、そこは狂乱のカーニバルの夜でした。

 あの広いサンマルコ広場が人、人、人で立錐の余地もなく、激しい大音量の音楽、過激で妖しいヴェネツィアのカーニバルの仮装とマスクの群れ、狂乱の渦、酒酒酒、そのあまりにも手荒い出迎えは、私達の度肝を抜きました。

 建物はすべて15〜16世紀に建てられたものばかりで時間が止まっているように感じます。その舞台装置としての街があるからこそ、このカーニバルは心から楽しめるのだと分かりました。

 そっか。この街は劇場なんだ。

 この街が、そのまま舞台装置なんだな。

 それが、ヴェネツィアに降り立った私の、ファーストインプレッションでした。

 ならば滞在中、このヴェネツィアという劇場都市を、隅々まで探検してやろう。よく、異国の街でヒロインになろうというコピーを見かけますが、それは素人さんが旅先でかりそめの何者かになる非日常を楽しむこと。こちとら舞台人劇場人はその逆で、仕事を離れた時くらい、かりそめの世界から離れたいのです。

 翌日、目が覚めて、ホテルで朝食を摂った時から、出会いと驚きの連続連続なのですが、字数が尽きました。
このヴェネツィア旅行記シリーズ、当分続きます。


(石丸耕一 音響演出家 www.lunadfuego.com)
 

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