otowa.gif

 私は現在、仕事の合間をぬって親しい仲間達と、立体音響の作品制作を続けています。
 みんな忙しいのでなかなか作業が進みませんでしたが、ようやく1年がかりで2本の作品がほぼ完成しようとしています。

 締め切りも予算も発表先も決めていませんから逆に好きなだけの時間をかけ、こだわるだけこだわり、欲しい機材を惜しみなく投入して、ある意味モノスゴイ贅沢な制作環境の中で好き勝手を楽しんでいます。

 私にとって立体音響作品というのはもう20年来の、ライフワークのようなもので、仕事として考えてやってはいません。純粋な表現行動、自身の内面からの表現衝動の発露の結実であります。
 時にそれはビジネスになり、時にそれはボランティア活動の一環となったりして、企画ごとに組む相手が変わって来ましたが、今回は久しぶりに、私達仲間うちの研究と実験、研鑽の為、という、非常にピュアな物創りを楽しく満喫しています。

 このエッセイでも百数回の連載の中で何度となく立体音響についてお話ししてきました。その中でいつも申し上げてきたことは、立体音響とは技術ではなく演出でありイメージである、ということでした。

 別にサラウンドやマルチチャンネルが立体音響な訳でもなんでもありません。
 立体音響について触れる以前に、音響というものそのものが演出である、聴覚演出であると繰り返し申し上げてきました。

 そして例えば、舞台音響においては、電気のない江戸時代から、そもそも舞台音響というものの本質そのものが立体音響だ、ということもお話してきた通り、立体音響を技術としての立ち位置からだけ考えていては、本質からどんどん離れていってしまう、と考えています。

 演出効果が得られるのであれば手段は問わない。その手段が生音の擬音だろうと立体音響だろうと。逆に言えば効果が得られないのにただ立体音響を行うというのは意味がないということです。それだったら立体音響なんてめんどくさいことしない方がいいです。

 モノラル作品だってステレオ作品だって面白いものは幾らだって創れます。
 完パケの音響作品も、モノラルであろうとステレオであろうと立体音響であろうと、面白ければお客様は喜んで下さるし、つまらなければ二度と聴いてくれません。
 あるシーン、ある場面が、モノラルよりもステレオよりも立体音響になっていることで笑えるようになる、泣けるようになる、驚けるようになる、テーマがより明確になる、だからこそ立体音響化するのだ、これが演出と立体音響という手段とのマリアージュです。

 フランス料理でワインと料理のマリアージュ、という話をお聴きになったことがあると思います。
 料理とワイン、個々がどんなに良くとも組み合わせが悪いと、双方が互いを殺し合ってしまいます。

 笑ってしまうのは、極上の塩辛や極上の数の子と一緒に極上のシャンパンをいただくと、口の中が生臭さ満点で、このうえなく最悪に不味い思いをしてしまいます。シャンパンが悪い訳でもなく、塩辛や数の子が悪い訳でもないのにです。
 組み合わせが良いと、料理とワインが互いを引き立てあい、膨らませあって、個々の力だけでは到達できない、美味の桃源郷に口腔をいざなってくれます。

 正に至福の瞬間です。

 今回制作している作品で、途中まで出来上がったものをお客さんに聴いて貰っている時に、とある場面が、モノラルやステレオで聴いて貰うと「ふーん」で終わってしまうのが、立体音響化すると、同じ場面で思わずツーッと涙が流れてしまう、そんな体験が今回の制作過程でありました。
 これこそが演出と立体音響という手段との幸せなマリアージュ、有機的な結合です。だからこそ立体音響は聴覚演出の手段として有効である、と初めて言えるようになるのです。

 こんな瞬間との邂逅は、やってて良かったーっと心が晴れ晴れとし、またこちらも幸せな満ち足りた気持ちになります。やった、と思える瞬間です。音の力を改めて知る、音の力を信じてこの世界で頑張ってきて良かった、と思える瞬間です。

 せっかくだからあと数本創って、どこか発表の場を持とうよ、とみんなでワイワイ言っています。発表の場、発表の方法としての面白い企画も次々上がってきています。
 これからも、自分のライフワーク、自分の楽しみ、自分の実験と研鑽として、自分の表現活動、表現衝動として、沢山の作品を作っていきたいと思っています。

 そして、その作品を通して、多くのお客様と出会い、楽しい幸せな時間を共有できたら、こんな嬉しいことはありません。


(石丸耕一 音響演出家 www.lunadfuego.com)
 

OTOWAYA homeOTOWAYA home
OTOWAYA home