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 今は亡き名女優、故・杉村春子さんの代表作の一つ、有吉佐和子原作「花岡青洲の妻」の第1幕、外出から帰宅した杉村先生扮する青洲の母が、屋台で組まれた青洲の家に上がり、玄関から居間へ移動して、そこで訪問着から室内着に着替える、その間ほぼ全く台詞の無い芝居が続きます。その背景では、高温多湿の紀伊半島を表現するように、蕭々と雨の音が続きます。

 雨の音と衣擦れの音は、誠によく似ているし、またマッチしているなぁ、と、本番オペをしながら毎日感心し、自分の出している雨の音と、杉村先生の着物を着替える衣擦れの音のハーモニーと申しますかアンサンブルと申しますかデュエット或いは合奏、それを楽しんでいました。

 着物の着替えが芝居であり、演技であり、着替えを丸々見せることで、それがそのままその人物の説明、描写、その家がどんな家、どんな格式であるのか、すべて説明し、尚且つ演技、芝居として見てて飽きない、考えてみたらただ着替えているだけなのですが誰にも真似の出来ない、ものすごいハイレベルな、観る方にもハイレベルな教養とセンスを求める名シーンです。

 着物の着替え、とか、衣擦れの音、なんていうと、多くの人は、色っぽい、艶めかしいイメージを持つかもしれません。しかしとんでもない。そこには、それはそれは凛とした、清々しい、心地よい張りつめた美しい世界が、そして人間が、日本人が生きる姿勢というものが、すべて凝縮された世界があるのです。

 恥ずかしながら、長年商業演劇で、それも歌舞伎座や新橋演舞場、明治座で仕事をして、毎日着物に接していながら、そして私自身、殺陣を学び、現在も小鼓を稽古していながら、着物に関してそこまで知ることになったのは、つい最近の事です。

 きっかけは、妻が始めた着物の着付け教室でした。
 妻が着付けを始めたキッカケが、私が長年歌舞伎や時代劇、能や狂言をやってきていて、現在も小鼓を稽古しているからという、私にとっては誠に嬉しく光栄な理由なのですが、今度は逆に私が妻から、着物を通して自分の仕事を、自分の扱っている音を、そして日々生きる姿勢や生活の心掛けを、見直し、考えさせられるようになっている訳です。

 着物にはそれだけの、深い、ふかぁ〜い、世界があるのです。
 外国人から見ると着物は、リボンもボタンもファスナーもない、ただの幅広の生地の組み合わせが、折り紙を折るように、結んだり折ったりたたんだり丸めたり、それで得も言われぬ見事な美しい、世界にも類を見ない服飾美を現出させる、ファンタジーなマジックと受け取られています。一体何故こんな誇らしい文化を現代日本人が手に入れようとしないのか、理解に苦しみます。国際社会、国際化というのなら、外国の歌や楽器やダンスを習う時間があったら着物を着て外国に行くほうがよっぽど尊敬されます。

 私達日本人だって、小唄や三味線を本国で習ってきたという外国人に出会ったら、へぇぇ珍しいとは思っても、尊敬はしないでしょう。それと同じです。
 着物は伝統の文化、とは言っても、現在一般に使われる着物は江戸時代に確立されたもので、その着物は平安の昔から見れば、やはり改良もされていれば進化もしています。何百年の長きにわたって積み上げられた先人の知恵と工夫と努力が凝縮されているのですから、たかだか洋装の歴史百年足らず、私達一人の人生なんて数十年、とてもとても着物の持つ時間と歴史に太刀打ちできる訳がありません。

 そこには、着物を着付けるにとどまらない、人間の真理、人が生きていく姿勢、人のたたずまいのあるべき姿があります。

 例えば、絹、シルクというと、洋装の世界では贅沢品でしょう。しかし着物の世界では、絹を用いるのは贅沢のためではなく、それが「理にかなっている」から用いるのです。

 私が殺陣をやっている時、屋外での殺陣は、絹では勿体ないということで化繊の着物でした。そうするとすぐに着物は型くずれし、シャッシャッと変な音を立て、肌を化繊が激しくこすってヒリヒリと腫れ上がります。痛くてやってられません。
 絹だと全くそういうことが起こらないのです。

 現在の白バイ隊員の白いスカーフがみんな絹なのも、操縦中にせわしなく首を左右に動かして周囲を監視するからで、そのスカーフが化繊だと、首の皮膚がズル剥けになってしまうからだそうです。

 着物をキチンと着ると、着物の前と背骨とで、着物の縫い目が、身体の中心をピシッと通ります。

 いくら上手な人に着付けてもらっても、自分の姿勢が悪かったら、姿勢が悪いような生活を普段していたら、姿勢が悪くなるような物の考え方を普段していたら、着物はあっという間に着崩れて、その人がどんな生き方をしているかが、如実に顕れてしまいます。

 着物を着るということは、単に服を着るということにはとどまらないのです。

 着物という、こんなに大きな題材、とてもとても一回のエッセイで扱いきれるようなものではありませんので、しばらく何回か連続で、お話していきましょう。

 きっと、喜んで、楽しんで頂けると思います。

(石丸耕一 音響演出家 www.lunadfuego.com)

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