otowa.gif

 前回の、音で空間をイメージしてもらう、というお話の続きです。

 映像の音が、緻密に絵を描いていく油絵だとしたら、舞台の音は、一閃、颯ッと筆を走らせる日本画の様なものかも知れません。

 ウグイスの谷渡り、という演出があります。
 下手の奥でウグイスが鳴く。舞台中央にて下手奥を見込む主人公。この時主人公はお客様に背中を向けている訳です。そのウグイスが、ケキョケキョケキョ…と鳴きながら、下手奥からプロセニアム、そして客席上手の上の方へ、やがて後ろの方へと遠ざかって行く。その音の動きを追うように主人公も振り向く。そしてウグイスが消えたとき、主人公はお客様の方を向いて静止している。舞台の美しい美術の中で、そこに一幅の絵が出来上がる。
 そこまで計算され尽くした音響演出。ただただもう、「うーむ」と唸るより他はありません。
 お見事、です。音を聴かせるという次元を超越した演出です。

 私が、先に、舞台の音は、一閃、颯ッと筆を走らせる日本画の様なものと申し上げたニュアンスが、この例でお分かりいただけますでしょうか。

 このように、舞台の音は、客席の後ろから舞台の奥までを1つの空間として、その空間にどのように音でイメージの絵を描くか、というのが本質であり、その意味では舞台音響は、電気のない時代から、舞台音響とはそもそも立体音響のことだ、ということを、このエッセイでも再三申し上げてきました。

 この15年〜20年程、いわゆるテレビで育った世代が舞台を作る立場になって、演出や脚本、出演者からの音響に対する要求が、とてもテレビ的と言いますか、テレビのバラエティー番組で行われているような笑いを誘うタッチ音のSEや、ベタッと平面的な大音量を求められ、音響さんも唯々諾々とそれに応じ、その結果、舞台と客席の間に音のブラウン管が空間を遮蔽しているような、そんな舞台音響が蔓延しかけました。
 これではお客さんは劇場に来るのも家のテレビで劇場中継を見るのも同じことで、こういう舞台音響では舞台の本質そのものを破壊してしまう、と危惧される方々も一方で多くいらっしゃいました。私もこのエッセイにて、度々申し上げてきたことです。

 ところがここへきて、家庭でDVDやゲームソフトのサラウンド対応が増えてきて、一般のお客様、特に若い世代が、音がどこから聞こえてくるのかということを強く意識する傾向が出てきました。
 高校演劇の全国大会に出場する学校の音響プランを訊くと、この15年間の間、ただ大音量だけを求め、立体的に音を聴かせるプランなど皆無に近かったものが、この2〜3年の間に、この音はここから聞こえてくるように、この音はここからここへ動かしたいなどどいう要望が急に増えてきています。
 そういう学校、あるいは学生達に話を聞くと、先に述べたように、DVDやゲームソフトのサラウンド化によって、自分たちも音が聞こえてくる方向を非常に意識するようになった、とのことです。
 そういう若い世代の音響プランが、世相を、時代を反映するといえば話は簡単ですが、舞台音響の現場に於いて、自己再生能力、自浄作用が弱かった、足りなかったというのは、忸怩たるものがあります。

 ともあれそれは、若い世代からすれば、自分たちの感覚にマッチした、従来とは違う新しいウェーブと感じているようですが、私達からすれば、本来のあるべき姿に回帰してくるといったところで、ですがいずれにしましても喜ばしい事だと思います。

 それが、ただ巡り巡って元に戻るのではなく、そこにどんな新しい演出と、それを具現化するどんな新しい技術を伴って、ただの回帰にとどまらない、新しいウェーブにしていくのかが、私達の研究すべきポイントであり、そうするのが先人から受け継ぐ私達の義務であろうと考えます。

 私の周りでも今年、有志が集まって、実験会を行う準備を進めています。
 映画において行われている立体音響の技術を舞台音響に活用することで、従来の舞台音響での立体音響演出に、新しいエッセンスを加えようという実験で、もう10年以上続けてきたものです。
 何が大変といって、10年以上も持続させることが大変でした。風向きが追い風の時には幾らでも賛同者、協力者が出てきますが、向かい風の時にはいくら呼んでも叩いてもドアが開かない時期もありました。
 もちろんどんな時でも共にいてくれた人達もいます。そういう人達のことを私は決して片時も忘れません。

 そしてこれからまた10年、更に次の10年、劇場という閉じられた空間のキャンパスに、無限の広がりを生み出すために、どんな画材を使ってどんな絵を描くか、トライを続けていきたいと思っています。

OTOWAYA homeOTOWAYA home
OTOWAYA home