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 私は現在、専門学校の講師を二校、引き受けています。

 専門学校というところは面白いところです。来ている学生は、大きく二つに分けられるのです。
 一つは、専門学校の、専門、という言葉に拠って来る学生達。専門の勉強をしたい、専門の知識と専門の技術を身に付けたいと強く心に決めて来ている学生達です。ごくごく少数なのですが。
 もう一つは、専門学校の、学校、という言葉に拠って来る学生達。大学には行かない、でもまだ社会人にもなりたくない、もう少し学生でいたい、もうすこしモラトリアムの微熱の中で揺れていたいと思って来ている学生達です。こちらの方が専門学校生としては圧倒的多数でしょう。
 専門という言葉に拠って来る学生達は、ユニークな学生が多いです。
 私より年上の学生がいたこともありました。4年制の大学を出てから専門学校に来た学生。4年制の大学を出て社会人になって働いていて会社をやめて改めて専門学校に来た学生。高校の先生をしていたのが一念発起して教職をすてて学生に戻った人とは、私と互いに相手を先生と呼び合って笑っています。
 妻子を抱えて昼間は専門学校、夕方は中華屋で中華鍋を振り、夜中はホストクラブで働いて月謝と妻子を養う金を稼ぐ学生もいます。

 いろんな人生がある、なんて知ったふうな口をきくほど私は老け込んじゃいません。そんな彼らの一人一人に、いちいち感動してしまいます。敬意を表します。 彼らが笑いながら話す彼らの人生が、痛いです。ビシビシこちらの心に突き刺さって、痛いです。

 人生七転び八起き、と言いますが、彼らの場合、人生七転八倒で、互いに互いの人生を、指さして大声で笑い立てては気がつけば一緒に泣いています。
 在学中にもいろいろあります。バイト先の悪い男に引っ掛かり、仕送りもバイト代も月謝も貢いで学校に来なくなった、典型的な絵に描いたような女の子を、深夜二時過ぎにその男の家に乗り込んでいって引きずり戻して男を大乱闘の末ブチのめして来たこともありました。ええ、こう見えて私、若い頃は武闘派だったもんですから。

 学生によく飲みに誘われます。飲むとよく言われます。石丸先生は非常勤の講師なのに、なんでそこまでするの。常勤の本職の先生だってそこまでしないよ。石丸先生本職が超忙しいじゃない。劇場で朝から晩まで働いて、個人でも仕事受けてスタジオこもったり稽古場に泊まり込んだり。現場の人が非常勤講師やってると、大体が小遣い稼ぎのいい加減なぬるい授業やって、終わればそそくさ帰って行くじゃない。
 何でなんだろうなぁ。自分でも分かりません。やらずにいられないのです。手を抜いて生きられないんですな。多分俺も、お前らと同じ、生きることの下手な人間なんだと思うよ。
 彼らの様な、退路を断った人間は強いです。
 どんな道でもそうですが、強く心を持って、わき目も振らずに一心に、退路を断って崖を背負って、私にはこれしかない、これしかないと自分で決めた、これを失ったらもう自分には何一つない、そう腹を括って歩いている人間にしか開けてこない道があります。
 そうしなければ、気の遠くなるような長い時間と年月を積み重ねていくことは出来ません。
 積み重ねていって初めて、まるで無意識に呼吸しているように、自分の選んだものが身についていきます。

 これは人から聞いた話ですが、料理の世界でも、才能や能力や技術を頼みにしていたら、いつかは壁にぶつかったり、才能の枯渇を感じて消えていくか落ちぶれていく。
 それよりも、単純でも、ただひたすらに一心に、同じことを繰り返し繰り返し、気の遠くなるような時間と年月をかけて行って、いつしか本物の料理人になるそうです。そういう人はまるで呼吸をするように、その人そのものが料理を身体で体現していて、たとえご飯に生卵をかけたものでも、その人が作ったものならそれはフランス料理である、と。
 うまいことを言うなぁ、と思いました。そしてそれはどんな分野でも、音の世界でも同じだなと思いました。

 このエッセイは、全国で学生さんが結構読んで下さっているようで、初めは私のサイトのバックナンバーを読んで下さっているのが、次第に書店で本誌を注文して下さるようになって、その注文を受けた本屋さんから時々メールを頂戴します。
 学生のみんな、頑張れよ。強く心を持って、わき目も振らずに一心に、私にはこれしかない、これしかないと自分で決めた、これを失ったらもう自分には何一つない、そう腹を括って退路を断って崖を背負って立ってみろ。君が選んだ音という世界は、そうするだけの価値も意味もある世界だ。そうしなければ決して見えてこない、聞こえてこない道だ。

 ここに一人、君らと同じ、不器用な、生き方の下手くそな人間が、断崖で歯を食いしばって向かい風に立っている。

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