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 空間を聴く、などと大風呂敷のタイトルをつけましたが、今回のお話の発端は、現場のほんのちょっとした些細なこと。

 今まで使用してきたチャンネルディバイダが故障をしまして、修理に出すに際し、代替機を貸してもらいました。
 修理に出すのは古いアナログのチャンデバ。代替で来たのがデジタルのチャンデバ。
 設定を代替機に移して、理屈の上では音質は揃ったことにはなりました。勿論、デジタルとアナログの違いも有り、例え同機種同士であっても個体差というものがありますから、聴きながら微調整をしていこうということになりまして、片チャンネルをデジタル、もう片チャンネルをアナログのままにして、音出しを始めたのですが。
 居並ぶ者みんな唖然とするくらい音が違いすぎて、「どうすんのよこれ」という状態になってしまったのです。
 古いアナログの方が音が良かったんです。断然。

 デジタルの機材ですから、D/A、A/Dで多少のディレイタイムが発生し、片チャンネルをデジタル、もう片チャンネルをアナログで聴けばデジタル側の方が音が引っ込んで聞こえるのは解ります。それをさっ引いても、聴いた印象、イメージがこれだけ違う。
 特に高域が違うんです。何度もチューニングを繰り返して、確かによく聴けば音質は揃っているのが解る。でも、何かが決定的に違う。

 空気感だ、と私は感じました。
 アナログの方が空気感があり、伸び伸びした感じがする。対してデジタルの方が、喉仏を指で押されているような息苦しさ、息が詰まるような感じがする。

 そこのところを訊ねると、デジタルは20kHzで高域が切り落とされているのに対しアナログは高域投げっぱなしの状態だとのこと。それがデジタルとアナログの決定的な違いで、理屈では可聴帯域の外なので結果に反映されることはないんだが、実際に音を聴いてみると違いは出る、とエンジニアに言われました。
 「チャンネルごとの演算チップの処理能力の問題もありますね。はっきり言ってチャンデバは値段で音質が決まりますから。音質の良い処理速度の速いチップを積めば値段は上がりますし。石丸さんが欲しい音質は、デジタルのチャンデバだったら、80万円以上のクラスのものでないと無理ですよ」
 じゃあ何故みんなデジタルのチャンデバに走るの?
 「音質ではなく機能で選んでるからでしょうね。最近のデジタルのチャンデバは物凄い多機能ですから。一台で何役もこなしてしまう。割安なんですよ。」

 長い前振りになりました。今回はチャンデバがメインのお話ではありません。
 最近、アリーナやドーム、スタジアムで行われる大規模なコンサートのSRで、今回のチャンデバの聴き比べで感じたような、喉仏を指で押されているような息苦しさ、息が詰まるような感じがする音を聴かされる体験が多くあります。

 何故みんなこれを何とも感じないんだろう。

 多分、スピーカから出る音を一生懸命聴いているからだと思います。

 人間は空間の中に生きています。空間に生きて、空間の音を聴いています。決して人間は耳にスピーカを押し当てて日々を生きているわけではありません。
 だったら私達は、スピーカの音に目くじらを立てるのではなく、スピーカの音も含めた、その場の空間の音を聴き、その空間に思いを馳せなければならない筈です。

 スピーカもまた、単なる音源の一つでしかない。

 そうやって聴けば今回のチャンデバの聴き比べのように違和感を感じることも出来るでしょう。
 私は別に自分が物凄く耳が良いとは思ってません。
 聴くスタンスの問題だと思います。

 このスタンスで聴いた結果が周りのスタッフに「すごいシビアで高い水準を要求してくる」と受け取られるのでしたら、買いかぶられていて面はゆいのですがこのスタンスは間違っていないということなのでしょう。

 以前このエッセイでお話しました「空間を想像/創造する」、それから「沈黙とは音がない状態ではない、沈黙という音がそこにあるのだ」というお話も、今回の「私達は音だけを聴いているのではなく、空間を聴いているのだ」という考え方で捉えていただければ、より御理解いただけると思います。

 「沈黙とは音がない状態ではない、沈黙という音がそこにあるのだ」と書いた時には、何だかアラビア人がゼロの概念を生み出したときのようだ、哲学をやってるのかと言われたりもしましたが、空間という「容れ物」を考えていただければ、その容れ物の中に、音という要素、沈黙という要素が入っている、とお考え頂くことで御理解いただけると思います。

 そういうスタンスで音を聴くと、ほら、チャンデバの音ひとつも違って聞こえてきますよ。

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