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 とある専門学校から、ミュージカルの古典的名作の「キャバレー」の公演を行うので手を貸して欲しいと頼まれました。

 出演者はプロではありませんがスタッフに名を連ねている方々が、いずれも有名なお歴々ばかりが並んでいたので、こちらもこりゃあ気が抜けないなと少々気が重くなっていました。
 と申しますのも、数年前に、ある別の専門学校の公演で、大変不愉快な噂を耳にしたことがあったからです。
 その学校で「キャバレー」を上演する際、「芸術に思想は不要、ましてや学校教育の場で思想は不要」と、キャバレーの作品の中からナチスに関する部分を全部削除してしまったというのです。
 開いた口がふさがらないとはこのことです。

 「キャバレー」を御存知の方は多くいらっしゃるでしょう。ライザ・ミネリ主演ボブ・フォッシー振り付けの映画化で大ヒットをした、ミュージカルの傑作の一つとしていつも名前が挙がる作品です。

 時は1930年代初頭、ベルリンが舞台です。当時のベルリンは、不景気、不安、渾沌、情熱、爛熟がごった煮になった退廃の都です。
 そこにいろんな人々が登場します。奔放な人間、真面目な人間、悩む人間、古い価値観の人間、新しい価値観の人間。
 アメリカ人、イギリス人、ドイツ人、そしてユダヤ人。さまざまです。
 みんなが痛々しいくらい一生懸命生きています。
 観客は彼らの近い未来を知ってしまっています。
 この物語の後、時代はもうすぐナチスの時代になってしまうということ。
 そして戦争になり、多くの人が死んでいく。この作品の登場人物達も一人残らず巻き込まれていくということを。ベルリンは焼け野原になり、東西に分断され、いつかベルリンの壁が壊されて東西ドイツが統一を迎えるまで暗い冷戦時代が続くことまで。

 作品世界の登場人物からみれば遥か遠い未来にいる私達は、物語のその後の彼らが容易に想像できてしまうだけに一層の感情移入をしてしまいます。それは劇中に登場する、当時台頭著しかったナチスに傾倒し、ナチスこそがドイツを救う希望だと信じて疑わない純粋な青年にですら、共感こそしませんが哀れと同情を感じます。十数年後の彼の末路を我々は既に知ってしまっているからです。

 そういう意味ではこの「キャバレー」という作品には一人も悪人が登場しません。
 歴史の嵐の前で、みんなが必死に生きていて、それなのに迎えてしまう悲劇。
 一人一人の悲劇が、時代の悲劇を象徴していきます。
 時代に引き裂かれていく人々。
 この作品から、ナチスの時代という要素を削除してしまったら、なんにも残りません。
 ホントにただのキャバレーになってしまいます。

 それを、「芸術に思想は不要、ましてや学校教育の場で思想は不要」という理由で、(既にこの理由そのものが理解できませんが)ナチスのくだりをカットするというのは、作品を理解していないというよりは作品を理解する気がはなからない、あるいは理解力がないとしか言いようがありません。
 別に芸術には思想がなければならないなどと数十年前の時代のような主張をするつもりはありませんが、作品を尊重し、骨子をつかみとるという作業をしないのなら上演しないほうがマシです。
 今回声をかけていただいた公演では、件の専門学校の公演のようにナチスの部分を削除したりせず(ちなみにその専門学校はツブレたそうです)オリジナルのまま上演するということだったので、喜んで参加させていただきました。

 主催者をはじめ演出家もオリジナルの状態での上演を行うという強い意志をお持ちでいて、そういう確固たる意思と姿勢は作品にそのまま反映されます。
 ストレートプレイではなく歌と踊りのあるミュージカルですから、お客様には台詞で説明する替わりに感覚的にこちらのテーマを感じ取っていただかなくてはなりません。そのため私は、時代背景の説明となるSE、特にナチスを説明するような音は一切使わないと決めていましたが、演出家も同じ気持ちでいてくれていたのがとても嬉しかったです。

 その代わりに、心象的な音を使ったり、俳優のワイヤレスマイクのSRを通常とはかなり違った演出的なSRをしたりして、お客様に感覚的にテーマを感じ取っていただける工夫を凝らしてみました。
 これはかなり功を奏したようで、戦争の歴史を殆ど知らない若いお客様方にも、ものすごく実感として感じ取って貰えたという反応がアンケートから沢山伝わってきました。

 音響デザインは、このように、上演企画の段階から既に始まるものも多くあります。
 音響さんは音響の専門家である前にやはり、舞台人であらねばならないと痛感します。

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