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 私が日常勤務している劇場で、「ひめゆり」というミュージカルが上演されました。
 これは太平洋戦争の末期に沖縄で起きた悲劇をミュージカルにしたもので、1998年に他の劇場で上演され、大絶賛を博したものが今回、私のいる劇場に再演という形でおいでになったものです。

 上演なさるのはミュージカル座。この劇団は、ポップオペラ形式という、台詞が一切ない、全てを歌で綴っていく、オペラと同じスタイルのミュージカルを上演することで知られていまして、人気・知名度ともにグングン上がってきている、またそれだけの実力を伴われた、頼もしい劇団です。

 今回この「ひめゆり」を、私のいる劇場で再演するにあたり、劇団の音響さんから、戦闘機の音を客席の中を旋回させて回すことは出来ないだろうか、という相談を受けました。
 作品の中の音の世界は、それを作る演出家、作曲家、音響デザイナーのものです。劇場に常駐する音響さんがそれに口を挟むことは許されません。私がデザイナーを勤めるときも同じです。

 一方、劇場の響きや癖、システムを熟知して、どうすれば要求を具現化できるかを分かっているのは劇場の音響さんです。日頃劇団について頑張っている音響さんに、日々馴染んでいる訳でもない劇場の音まで全部何とかしろというのは無茶な話です。

 そこで、両者がコーポレートすることが大切になります。
 公演に付いてくる音響さんは、作品の世界の中の音を創造する。
 劇場の音響さんは、空間の響きを司る。
 この二つが有機的に結合して初めて舞台音響は命を吹き込まれます。

 これは綺麗事だと言われます。
 綺麗事で結構。綺麗事を頭から丸ごと信じ込んで一生懸命実現しようとしている人達が一方には少なからずいて、それが本当に素晴らしい結果を生み出しています。

 今回の場合、まず音ネタとなる戦闘機の音を用意していただき、それからその音が、どういうシーンでどのように使われるのか、それが作品にどんな意味を持つのか、解説していただきます。
 それが理解できないと、相手の満足する音像移動などできませんし、ひいてはお客様の心を揺さぶる事など出来ません。

 遊園地のアトラクションと違って、舞台での音像移動は、オドカシやコケオドシでは許されないのです。
 完全に演出でなければなりません。演出が為され、意味があり、必然がなければなりません。そうでなければお客様は白け、それは効果ではなくただの雑音にしかならなくなってしまいます。

 今回の戦闘機は、クライマックス、主人公と負傷した日本兵が米軍の戦闘機に追われ、日本兵が自決しようとするのを主人公が必死で押し留めます。そして、命の尊さ、今生きていることの歓びを、この上なく美しい歌に託して歌い上げます。その歌い終わった時、戦闘機が飛来し、機銃掃射をかけてきます。日本兵は主人公の前に身を投げ出して主人公を守り命を落とします。その戦闘機が爆音をあげて客席を1周旋回する中、目の前で自分のために死んだ日本兵、ほのかに心を寄せていた日本兵の死を見て、絶望に落ちる主人公。ついさっきまで命の尊さを歌い上げた主人公が、戦闘機に向かって「私も撃って!私も殺してよ!」と慟哭します。しかし戦闘機は主人公の上を旋回した後、主人公を撃たずに客席の後方へ飛び去っていきます。

 ここまで提示されたら誰だって是が非でも実現しようと燃えるでしょう。劇場の音響さんの仕事は、イメージを数値に置き換える作業です。今手渡されたイメージを、それではそれを実現するにはどのスピーカからどのスピーカへ、どのくらいのスピードでどのくらいの音量で移動していったらいいのか、スピーカの選択と移動データの打ち込み、そして響きとの兼ね合いをつけることです。

 幾度かのディスカッションとデータ修正の結果、満足して頂ける音像移動が出来上がり、作品の世界の中で戦闘機は、お客様を戦場の真っ只中へ引きずり込み、その周りを爆音をあげて飛び回りました。
 劇団の音響さんや作曲家の先生にも喜んでいただき、劇場の音響として、これほど嬉しい事はありません。
 ハードウエアとして何か真新しいものを使った訳でもありません。20年以上も前に設計された不二音響のシーアスです。それでもちゃあんとできるんです。

 やるのは人間です。劇場はモノじゃありません。
 劇場は人です。人で劇場が決まるんです。
 「あの劇場にはあの機械が導入されているよ」ではなく、「あの劇場にはあの人がいるよ」なんです。
 今回は本当に幸せな出会いでした。

 作品と劇団、そして繰り返しになりますが、音響さんと作曲家の先生に心からの敬意と感謝の意を表します。
 こういう出会いを幾つも重ねて、素晴らしい舞台作品を一つでも多くお客様にお届けしたいと、初心を新たにする思いです。

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