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 歌舞伎俳優の市川猿之助丈は、今から約15年前、私がまだ新橋演舞場の常駐オペレータを勤めていたころ、その新橋演舞場にて「スーパー歌舞伎ヤマトタケル」を上演なさっていらっしゃいました。
これは社会現象にもなった大ヒット作で、スーパー歌舞伎というシリーズは、その後もリュウオー、オグリ、三国志等さまざまな作品が現在まで続いています。

 その、ヤマトタケルの上演中に、市川猿之助丈は、そのスーパー歌舞伎というジャンルについて、こういうお話をなさっていらっしゃいました。
「型破りというのは、既にある型を勉強し、良いところは採り、時代に合わせて変えるべきところは変える。本来の型を知って学んで認めて、だからこそ型破りなんです。型を勉強もしない認めもしない、知りもしないで勝手なことをやるのは、それは型破りではなくて、型なしです。そういうことをすると、型なしに(形無しに)なっちゃうんです。」

 なるほどなぁ、うまいことをいうものだなぁと、当時駆け出しの洟垂れだった私は感心してしまって聴いていました。

 さて。年月は過ぎ、いつしか自分が演出家や出演者や音楽監督や振り付けの先生の年齢と並び、あるいは追い抜き始めてきた昨今。
 私もこのごろでは年若の役者やスタッフから「口やかましいオッサン」と思われるのも心地よくなってきまして、若い女優さんに「おじさんはね」と平気で言えるようになってしまったのですが、そこはそれ、劉備の「髀肉の嘆」のように、過ぎ去りし年月と今の我が身を引き比べて嘆息するほど人品が出来ておりませんので、言いたい放題のやりたい放題なのですが。

 とある若手の劇団に頼まれて音響を引き受けまして、稽古場に出かけていった時のこと。
 自分たちは新しい表現をやっている、自分たちは才能に溢れている、自分たちは過去に無いものを生み出している、と血気盛んなのは誠に結構なことです。何時の時代も同じです。読者諸兄も、私ですら、自分の若かりし時を振り返れば同じであったと微笑ましく見守ってしまうでしょう。

 が、休憩時間に、出されたコーヒーを皆で飲みながら「ところで歌舞伎とか能とか、見たりするの?見に行ったことはある?」と聞くと、
「見ませんよそんなの。俺達の目指すものじゃないし、新しいものを作ろうってのにそんな昔の物に浸ってたって後ろ向きなだけでしょ」と一笑に付されました。
 てめぇら温故知新って言葉義務教育で教わったの忘れたか、と思わず言いかけましたがやめて、「ふーん」と笑ってその場を収めました。

 伝統文化に若者が寄りつかないのは何もこの国だけの問題ではなく世界中が同じ状態です。イタリアへ声楽の留学に行っている友人が、現地のクラシック関係者に「ヨーロッパでクラシックを聴きに行くのは年寄りとアメリカ人と日本人だけだ。若者は見向きもしない。」と言われたそうで、日本人の若者が歌舞伎や能を見に行かないのも不思議ではありません。

 が、稽古が再開して、クライマックスのシーン。
「そこ、ストップモーション。映画みたいに。うん、そうそう、カッコいいよ」と言っているのを聞いて、この不肖「人品のできていないオッサン」の短い導火線に火がついてしまいました。

 この連載の99年7月号でも触れましたが、歌舞伎がヨーロッパに紹介され、そのリアリティを無視・デフォルメすることで見る人の心情にリアリティを与える方式が、リアリズムの限界にぶつかっていたヨーロッパ文化に影響を与え、歌舞伎の「見得」がジャン・コクトーやエイゼンシュテインらによって映画のストップモーションに取り入れられた話を彼らに聞かせ、
「お前ら、古いものは価値がないようなことを言って、やってることは歌舞伎の真似の真似じゃねぇか。何が新しい表現だ。もっと勉強しろ勉強。勉強しない言い訳に感性だのフィーリングだの言って正当化するな。」
とやってしまいました。

 一同シュンとして稽古場が静まり返ってしまい、その後私もその劇団とはそれ限りの付き合いになり、以降の活動の噂も聞きませんでしたが、先日、自然消滅的に解散した話を聞きました。

 劇団はあぶくのように山ほど生まれては消えていきます。冷たいようですがいちいち感傷に浸ってはいられません。本当に才能があるのは一握りです。消えるなら早いほうが本人達のためです。
 しのぎを削るとはそういうことでしょう。それは私自身にも向けられていることです。
 長くこの世界にいればいるほど、冒頭で紹介した市川猿之助丈の言葉が身をもって痛感させられます。

 でもそれは、昔のものを学ぶ中に、新しいヒントが隠されていることが多く、むしろ楽しいことです。
 知るは楽しみなり、とNHKの昔の人気番組で司会のアナウンサーが言ってました。温故知新。知るは楽しみなり。この二つの言葉を続けて言うと、気持ちが楽になり、力が湧いてきます。
 そうして、猿之助丈の言葉の、型なしではなく、型破りでありたいと、思うのです。

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