otowa.gif

 先月の続きです。

 仕事柄、友人は音響に留まらず舞台監督、大道具、照明、出演者や演出家やミュージシャン、脚本家などに広がっていきます。彼らと親睦を深めたり情報を交換する場を盛んに設けてはお互いに招待しあったりしているのですが、ある、そうした一席でのこと。

「いやぁ石丸ちゃん、○○ホールって知ってるかい?このあいだ公演で行ってきたんだけどさ。いやぁ、シビレちゃうな、あそこは。ホント。」
舞台監督が言います。大道具さんや照明さんも、うんうんと同調しています。
 何があったんでしょう?尋ねてみると、
「何もないよ。何もなくてよかったよホント。よく何も起きなかったよな。なぁ?」
 ますます訳が分かりません。どういうこと?
「スタッフがさ、みんなボランティアなんだ。
いい人達ばっかりだったよ。気持ちがいい人達。
一生懸命やるし、自分たちは一生懸命やってますっていう喜びで輝いてるんだよな。」
 いい事じゃないの。何が問題なの?
「だからさ。ボランティアとしての一生懸命なんだよ。何を訊いても『さぁ』としか返事が返ってこない。モノを知らなすぎるし、知らないということに危機感を感じてない。事前にトラブルを察知できないし、危険が目の前に迫っていると知らずに危険な行為をしてしまう。俺達が慌てて回避してあげて初めて気づいて『うへっ』と驚いて、フリーズしちゃうんだ。フリーズしちゃうのが現場のスタッフとしては一番危ないんだけどさ。
で、仲間内で驚きあって、回避できたことを喜びあって、俺達に礼を言いに来るわけだ。とっても丁寧に、礼儀正しく。いい人達だよね。
言ってる意味分かるかな石丸ちゃん。
つまり、舞台スタッフに一番向いてない、いい人達な訳よ。」

 ここまでの話で、皆様はどう思われるでしょう?

舞台監督の話に「うんうん、分かる」と思われる方。
「何を言うか失礼な」と思われる方。
 もう少し彼の話を聞いてみましょう

「ボランティアの一生懸命とプロの一生懸命の違いじゃないかと思うんだよね。絶対に誤解して欲しくないんだけど、プロの方がボランティアより上、だなんてこれっぽっちも思ってないぜ。ただ、舞台スタッフっていう業種に限って言えば、プロでないと勤まらない、と俺は思うんだ。あくまでも、俺は、ね。
だって、下手すりゃ人死にが出るからね。」

 この、舞台での安全の確保にプロの覚悟が有効であるということは私も認めます。プロが生活を賭けて蓄積する安全確保のノウハウは、学ぶのは誰にでもできますが、それを身体で覚え、いざという時には身命を放り出してでも守るべきものを守る、これが、咄嗟に身体が動くかフリーズするかは、やはり「人生を賭けている」というプロの覚悟だと思います。

 大変残念ながら、プロの配置されている劇場やホールでさえ、死亡事故は起きています。それについて、プロのくせに何だと責めるつもりは毛頭ありません。プロがいてでさえ、事故は起きてしまう、むしろそれで最小限に食い止められている、と弁護したいです。
 舞台の上というのはそれほどまでに危険なところです。関係者以外立ち入り禁止というのは伊達じゃありません。それだけの事を、ボランティアの人達に要求するのは、ボランティアの精神に反すると思いますし、ボランティアの側にしてみれば迷惑千万、筋が違うと怒ってもいいくらいだと思います。

 プロが、「俺はプロだ」と言う時の、プロの自覚、プロの自信の前に、「お前にはプロの『覚悟』は出来ているか!」と、自分にも自戒を込めて問います。
 それに拮抗できるものがボランティアという存在にあるならば、是非ともお教えいただきたいと思ったのですが、前述の舞台監督は「いやぁ、どうもそうじゃないんじゃないかな。」どういうこと?

「運営する側は、プロではなくボランティアに任せれば経費が浮く、くらいにしか考えてないと思うな。その上、ボランティアで運営されているといえば、響きはいいもんな。一石二鳥だろ。」

 彼は憶測で言っているのですが、それが本当なら、この国のホール、劇場文化は、命脈を断たれたと言ってもいいでしょう。
 それは、プロにとっても、ボランティアにとっても、とても不幸なことです。
 あの「舞台スタッフボランティア賛美奨励ブーム」が、不景気の短絡的な財政引き締めでしかなかったとしたら、プロの覚悟を持つ者として、またプライベートでボランティアをしている者として、絶対に許せません。
 もう既に、新しく作られるホールにおいて、スタッフをボランティアで、という話はあまり聞かれなくなっています。

 先月お話しした、ボランティアの「My pleaser」の精神。
 今月お話しした、プロの「覚悟」。
 皆様は、どう思われますか?

backback
OTOWAYA home