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 これは、人から伺った、マザー・テレサが御存命中の話ですが、彼女が紛争地域の難民キャンプへ、子供達を助けるボランティアに出向いた時のことです。

 教会を病院替わりにし、そこにはひっきりなしに、戦闘の巻き添えになった子供達が運ばれてきます。
 その様子を、フランスの国営放送が彼女に張り付き取材をしていたのですが、あまりにも惨たらしい姿に変わり果てた子供達が累々と横たわるその地獄の惨状に、ファインダーを覗き続けることが出来なくなってしまったカメラマンが、ついに耐えきれず、彼女に向かってこう訴えました。
「マザー・テレサ。これでも神はいるのか」と。
マザー・テレサは平然とした顔でこう答えました。
「ええ、勿論です。この子達は天使です。」

 My pleaserという言葉の真髄がここにある、と、私は戦慄に近い感動で鳥肌一杯になりながらこの話を聴いたのを憶えています。
 英会話学校の普及で、「ありがとう」のThank youに対して、「どういたしまして」がYou are welcomeやNothingだけでなく、My pleaserというのもあるということは、ほぼ広く知られていますが、「ありがとう」と言われて「どういたしまして。それをした事は私の喜びなのです」という返事を返せるというのは、やはり、生活や文化の根底に宗教があるかないかの差でしょう。日本ではほぼ絶滅してしまった考え方です。私が外国の人にThank youと言って、相手が私にMy pleaserと返事をするときは大抵、右手を胸に当てながら言いますから、やはりこの単語はNothingや、You are welcomeとは重みが違うのでしょう。

マザー・テレサにしてみれば、重傷の子供達の世話をすることは、神に仕える人間として当然のことであり、自分がそれを出来るということは彼女にとってやはり「私の喜び」なのでしょう。だからこそ、「この子達は天使です」という言葉が出てくるのだと思います。

 このMy pleaserというスタンスは、そのままボランティアのスタンスに通じます。
 ボランティアは、自分の為にやるものです。人のためにやるのではありません。人のためになることをやっても、それで人に感謝を求めたり、自分は偉いと思うのは間違いで、感謝されることも、自分はいいことをしたという自己満足を得られることも含めて、全部自分のためです。それがMy pleaserです。無宗教の日本ではそこがなかなか理解されず、そのため、ボランティアが非常に歪んだ形で広がってしまいます。
「何で放送技術でボランティアの話をしてるんだ」と思われる諸兄もおられるでしょう。実はつい何年か前まで、ホール等にボランティアスタッフという立場の技術スタッフがいらっしゃって、それが私の周辺で(音響に限らず舞台や照明でも)問題が起きていたのです。

 この問題は大変デリケートで、誤解をされぬように皆様とこの問題を考えて行くには、「ボランティアって何だろう」というポイントを押さえていかないと危険だからです。更には、その何年か前の、舞台スタッフをボランティアで運営することが賛美奨励されている風潮の頃には、とてもこんな問題提起は許して貰えない勢いでしたが、今、この問題を考えることで、舞台スタッフはどう在るべきなのか、を見つけることが出来たなら、と思っております。

 話題を戻しましょう。ボランティアの話をするときに私が前述のマザー・テレサの話をすると、「その話を持ち出すのは反則だ」とよく言われます。誰もがマザー・テレサみたいにはなれないし出来ない、という訳です。
 しかしながら、ここでMy pleaserという言葉がキーワードになってきます。つまりボランティアは、「私の喜び」、つまり自己満足であるべきだ、と私は思うのです。それは裏を返せば、自分自身への「これは自己満足に過ぎないのであって、別に自分が偉い訳でも素晴らしい事をしているわけでもないし、従って感謝を期待も要求もしてはいけない」という戒めでもあります。
 だからこそボランティアは、無責任でいられなければなりません。「俺やーめた」というのがOKでなければなりません。
 「一生懸命頑張ってきたがどうしても事情があってやめねばならない」という台詞が、聴く人によっては「そんな理由でやめるなんて無責任だ」と責めることも出来てしまいます。事情の重さは人それぞれです。

 そんなことを言っていたら、ボランティアは、お金と暇が腐るほど余っている人しか出来ない、或いはそのボランティアの集団の中で、お金と暇のある人が自ずとイニシアティヴをとっていくという図式になってしまいます。
 ボランティアの活動をして人から有り難うと言われた。嬉しい。有り難うと言ってくれた人に感謝したい。自信と自尊心を得ることが出来た。充分満足したし、次の人にバトンタッチしてこの喜びを知ってもらおう。これが自然なボランティアです。「俺がやらねば誰がやる」と使命感に燃えるのは、のぼせ上がりすぎです。

 しかしながら、舞台スタッフを、このボランティア精神で賄おうとすると、大変なことになってしまいます。この続きは、また来月。

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