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 立体音響演出のシリーズ3回目です。

 前回の終わりに、舞台公演での音像定位、音像移動が10数年前から進歩が止まってしまったもう一つの理由を次回にお話ししましょう、と申し上げました。
 今回はそのお話から。

 劇場空間は、舞台があって客席があって、と、分断されている訳ではありません。
 舞台と客席は一つの空間です。そこに立体のパノラマがある訳です。
 音響演出は、舞台公演において、聴覚演出を担い、聴覚演出の立場から演出家をサポートする、というのが、本来あるべきスタンスであると考えます。
 ですから音響さんは、舞台と客席が一体となった立体の空間に、音のパノラマの絵が描けるイマジネーションを持っている人でなくてはなりません。

 それがここ数年、減ってきているように感じます。
 特に若い世代にそれを感じます。
 理由は単純な事だと思います。テレビです。

生まれたときから当たり前のようにテレビがあった世代が、ブラウン管の向こう側とこっち側、という、その境界線に音があることが当たり前の感性で育ってしまっているのです。
 ですから、そういう人が音響につくと、立体音響はおろか、通常のPAでさえも、舞台と客席の間に、音でブラウン管のような壁を作ってしまうようなPAをしてしまっています。
 これがどんなに致命的なことか、このエッセイをいつもお読み下さっている皆様は、じゅうぶんお分かりでしょう。

 通信が発達し、何でもディスプレイの前で手に入るのが当たり前の世の中になると、わざわざそこへ出かけていって、身体で体験しなければ得られないものが大切なものになり、貴重で贅沢なものになります。
 その筆頭が劇場であり、遊園地であります。
 その時に、舞台と客席がパッキリとセパレートされてしまうような、舞台と客席の間にブラウン管が出来てしまうようなPAをしていたら、それはもう、舞台表現の否定であるとさえ言えましょう。
「なんだ、こんなんだったら家でテレビ見てるのとおんなじじゃん」と思われたら、それは舞台表現の死を意味します。

 つまり現在は、立体音響どころじゃない、というのが現状でしょうか。哀しいことです。
 しかしまた、この現状を打破するのもまた、「劇場音響は本来は立体音響的考え方をするものだ」というスタンスなのです。

 テレビの影響は演出家だって受けています。いろんな公演を見ているとその影響は顕著です。
 でも演出家は音の専門家ではありませんし、詳しく分かっている必要もありません。それは音響の仕事です。音響さんが演出家に提案していくべきことです。
 それが、いつのまにか、演出家や出演者の御用聞きの仕事しかしない音響さんが増えてしまいました。

 私は諸先輩方から、音像定位、音像移動を実際のオペの中で、沢山教えていただきました。
 そういう私の責任として、次に伝えていきたい、そして私の代でも、何か新しい手法、何か新しい演出効果を生み出して次に渡したいと思っています。

 5年ほど前には、点音源を舞台・客席縦横無尽に移動させる手法で、「ハムレット」のハムレットとその父親の亡霊との会話で、シェークスピアがハムレットを書き上げて数百年、初めて亡霊役が登場しなくても声だけが歩き回る効果をあげました。この時のプログラムは、2chヴァーチャルのソフトウェアを多チャンネルに組んで行いました。

 昨年、いろいろと実験を重ねて、めどがついたので今年、うまいことチャンスがあれば実際の公演でやってみようと思っているのが、「音を面で動かす」という演出効果です。
 従来、舞台公演においては、例えば馬の大群が客席後方からドドドドと走ってきて舞台の方へ去っていくという音像移動を行うと、客席後方から聞こえてきた馬の大群の音は、客席の回りを遠巻きに囲むようにして前方へ移動する効果しか得られませんでした。
 これがアナログでの音像移動の限界だったのですが、これを、後方から走ってきた大群が、客席の中を走り抜け、お客さんは、自分の傍らを馬が次々と走っていく、馬達に取り囲まれていく感触を味わえるようにしようというものです。
 この効果は、例えば客席を水浸しの大洪水にしたり、軍隊の行軍などにも使えるでしょう。
 大切なことは、どんな効果も、演出として、「だからこの効果が必要なんだ」という必然性と説得力があって初めてお客様は納得し驚き感動してくれるのです。でなければただのコケオドシでオシマイです。

 立体音響は演出です。イマジネーションです。
人間のイマジネーションはどんなデバイスよりも高く、遠く、速く、遥かに翔び回り、駆け巡る。
 そう信じたいじゃありませんか。

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