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 皆様、新年、新世紀明けましておめでとうございます。旧世紀中は音話屋ダイアリーを御愛顧いただきまして誠にありがとうございました。お陰を持ちまして誌面の方もサイトへのアクセスも好調です。
 新世紀もますますノッていきますので、どうぞ宜しくお願いいたします。

 いよいよ21世紀、と考えますと、未だ自分は若いと思っていたのが、「嗚呼、もうすぐ『ええっ!?石丸さんて旧世紀の人!?』なんて呼ばれちゃう時が来るんだなぁ」なんてくだらない感慨にふけりますね。
 確実に2020年、2001年に生まれた子供がその年には現場に現れてくるのですから、その時私も年齢的にまだ現場に居るでしょうし、言われるな、こりゃ。

 私達が子供のころ、21世紀という言葉には、とてつもない未来、という意味が含まれていました。手塚治虫さんの漫画や少年雑誌の挿し絵等で見た未来の空想画は、胸躍らせこそすれ、「ホントにこうなるのかな」なんて疑問も不安も抱いてませんでした。
いやぁ、なりませんでしたねぇ。
 それでも、21世紀という単語に特別な意味合いを抱いていた世代は、今年から21世紀、という事実に、感動してしまいます。いや、しなければなりません。
 それが、この今の世相を打破し突き進む原動力になるからです。
 子供のころ、思いませんでしたか?
「21世紀に自分は何をしてるんだろう?」って。

さあ、私は何をしている?
21世紀の私は元旦2日が初日開演ですよ、1960年代の私。
 21世紀という大きく変わるべき時に私は、劇場という、昔から変わらない場所で汗を流しています。
 この連載で何度も劇場のお話をさせて頂いていますが、やり直しのきかない待ったなしの特殊性、そこから生まれる素晴らしさは「一期一会」にあり、生きている人間と人間がリアルタイムで舞台上と客席の時間と空間を共有するからこそ、舞台表現芸術はすべての表現方法の中で、最古のものであり最高のものとされ続けています。
 文字が生まれる前から人間は、狩りの獲物への感謝や、農業の収穫の感謝を捧げる祝祭として、既に舞台を用意して歌い踊り舞い演ずる、という行為を行ってきました。小説よりも古く、音楽は祝祭の演劇のために誕生しました。
 音楽の成立を、音楽の本質の一つである「再現性」に見るとするならば、原始の昔、石の上や盛り土の上で勢いに任せて、そのへんにあるものを叩いたり吹いたりしていたのは演劇の範疇で、音楽は、記録されることで同じ曲を違う人間が歌ったり演奏したり出来るようになってからのものということになりますから、演劇は、あらゆる表現行動の中でもっとも古いもの、すなわち「アルファである」と言えましょう。

 そして何千年という年月が過ぎ、前世紀になって、まず映画が登場し、これで演劇はすたれる、と言われました。次いでテレビが登場し、またこれで演劇は衰退すると言われました。
 しかしそうはなりませんでした。そして、これからも舞台という表現手段が、他の表現手段にとって替わられるということはあり得ないでしょう。
 理由の一つは、先に述べた、舞台はリアルタイムで体感するものであるということです。技術の進歩はこの本質を犯すものではありません。生身の出演者と生身の観客が共に空間と時間を共有して互いにテンションを張りつめていった先に生まれる一期一会は、技術でどうにかなるものではありません。
 通信の高度化、ヴァーチャルの普遍化に伴い、そこへわざわざ出かけていって体感しなければ得られない舞台という世界は、ますます貴重なものになるばかりです。
 理由のもう一つは、一番大事なのはコンテンツであり演出であって、それなしにメディアの発展も技術の進歩もない、ということを、今現在の時点で「そんなこと分かってる」とは言っていても、いよいよそこを念頭に入れなければ、次にどっちへ踏み出したらいいか分からなくなるところまで既に来ているということです。
 それゆえに、舞台表現は、あらゆる表現手段の中での根本である、と言えるのでしょう。

 21世紀に、変わるもの、変わらないもの。
 これからも私は常に、「これは本来どうあるべきなのか」「これについての真理は何なのだろうか」「これは何が正しいのだろうか」ということに、自分の行動を衝き動かされて、走り続けていきたいと思っています。
 それが、私が常々申し上げている、
「音で人は幸せになれる。
音で人が傷つき、死んでしまうこともある。
私達音に関わる人間はすべからく、
自らの扱う音の影響力の大きさを自覚し、
願わくば一人でも幸せになって貰いたい。
これが音響のアルファでありオメガである。」

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