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 私たちプロの音響家にとって、耳は商売道具ですから大事にするのは当たり前ですが、それ以外に注意したいのが、風邪と歯痛です。風邪をひくとテキメン、耳がモワンモワンになって高域の音が聴き取れなくなり、仕事になりません。また歯痛のときには、歯茎からコメカミヘ、そして鼓膜の奥でギリギリと耳鳴りがして、他の音が聴き取れません。とくに私のいる舞台という世界は、音響だけでなく、舞台も照明も役者も時間に追われ、出番にキッカケに追われ、どうしてもおざなりになってしまうのが、食事とトイレと睡眠と病院です。まったく不健康極まりない世界で、虫歯や尿管結石、尿道結石はこの世界に付き物です。

 高校時代に私と一緒に悪さばかりしていた悪友が、現在大学病院で外科医をしています。その悪友を15年ほど前でしょうか、当時私が勤務していた新橋演舞場へ招待したことがあります。出し物は当時大変話題になりました、市川猿之助丈の「ヤマトタケル」でした。

 終演後、近くのホテルのレストランで遅い夕飯をとりながら、「いやぁ、感動した」と悪友がさかんにその日の舞台を誉め、私の仕事を誉めるので、半分照れ隠しもありましたが、私がこう返したのです。「でもさ、俺の仕事も“オペ”と言うし、お前の手術も“オペ”と言うけどさ、偉い違いだよな。俺たちはトチッても、そりゃ大変だけど、誰か死ぬわけじゃないし。お前は大変だよな。人の命がかかってるもんな」

 すると悪友はジロリと私を睨み、ナイフとフォークをカチャリと音を立てて居ずまいを正し「おい石丸、そりゃ違うぜ」、「何が?」「俺たちの“オペ”はタンパク質を切ったり縫ったり、そりゃそれで人の命が助かったりするさ。だけどな。今日死のうと思ってる人が今夜みたいな舞台を観て、明日もう一度生きてみようって気にさせることは、俺たちには逆立ちしたってできないのさ。お前のやってる“オペ”ってのは、そういうことだろ。そういう面では、俺たちのオペなんて、お前に比べたら、まったく無力なのさ」

 脳天と腹に同時にドスンとブローを喰らった瞬間でした。以降の私は、音が肉体と心に与える影響を考慮に入れずに音を作ることはできなくなりました。

 音は人を幸せにできます。
 音で人が殺されることもあります。
 実際に命が奪われなくても、肉体に大きなダメージを与えたり、心が死んでしまうことは幾らでもあります。

 私たち音を扱い、音を操る立場の人間は、その影響力の大きさに常に畏れを抱くべきです。そして、願わくば自分の出す音で、1人でも幸せになったり、いい気持ちになったり、楽しくなったりしてほしい。これが音響の始まりであり、すべてであります。アルファであり、オメガであります。

 これはどんな仕事にも言えることでしょう。プロであるか否かの違いは、それで生計を立てているかどうかではなく、志の有無です。

  静けさや 岩に滲み入る 蝉の声

 この句から私は、蝉の声ではなく、蝉の鳴いている所から聞いている場所までの距離を思いやりたいと思います。音と人の間に静けさがあります。沈黙は音がない状態ではなく、沈黙という音がそこにあるのです。耳をそばだてるという行為は、遠くの音を聞くようでいて、実は音と自分との間にあるものを想う行為です。音の洪水の社会で子供たちが忘れてしまった行為です。

 歯にしみるんだなぁこれが。とくにミンミンゼミが。奥歯のポッカリ穴の開いた虫歯に。
 次の公演が終わるまで歯医者さんに行かれないなぁ。

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